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ボクらの滑(ぬめ)り跡
−すべてそうさくしたおはなしです−
No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話 61〜66話)
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話)
No.4 歳末特集号(1〜10話)
No.5 冬号(1〜10話)
No.6 夏号(1〜15話)
No.7 続1(1〜12話)
No.8 続2(1〜7話)
No.9 続3(1〜8話)
(ちゃぺる 7-12 ) 川 の 流 れ 12月12(日)
川の流れ
マリ子先生には子どもがいなかった。
いや、つくらなかったのだろう。
マリ子先生は、いつも、綺麗だった。
理科の時間、『川の流れ』を教わった。
上流には大きな岩があり、下流に行くと洲となる。
引っ込み思案の私が、手を挙げた。
「先生、それは、お米を研ぐ時、小さな石が混じっているのを見つけたり、
お米が流しにこぼれ出さないように、研いだ水を掌で調整するのに似てると、ボクは、思います」
マリ子先生は、怪訝な顔つきをした。
冷たい水で夕餉の米を研ぐ、そんな事をしたことがないのだ。
マリ子先生に見当違いなアピールをした気恥ずかしさを、
白濁した冷たい米の研ぎ汁の中に流した。
ご飯を炊いておくことは、仕事を終えて帰宅する母の厳命であった。
しかし、母は、決して、それを弟に言い付けることはなかった。
ディケンズの小説が好きだった。
もちろん、挿入画のある小学生向けに仕立てたものだが。
拠り所の無い貧しい孤児。
それは、自分のことだ。
クリスマスが近い。
(ちゃぺる 7-11) 貧しき者 12月1日(水)
その日、友人は、朝から閑を持て余していた。
工場が倒産して何もすることが無いのである。
こども連れの婦人が玄関に立って執拗に『世の終わり』を、
聖書を片手に説いたらしい。
「ご主人様、聖書に何が書かれているかご存知でしょうか?」
「貧しき者は幸いなり!」
友人は即答した。
『世の終わり』婦人は、その言葉を初めて耳にしたらしい。
「えー声ぇ〜」
近隣に響き渡るハイテナー。
関西人なら誰でも知っている漫才師の物真似だ。
「ボクね、聖歌隊で讃美歌を歌ってたんですよ。
響く声を出すためには、まず、肺の中の空気を全部吐き出す。
それが、『貧しい』ということですわ」
浪花千栄子の黒渕眼鏡にジャンパー姿の横顔を思い出した。
ある週刊誌に連載された変身もの企画のグラビアだ。
『どこにでもありそうな大阪の下町の工場のガクモン好きなインテリの三代目社長、
若ぼん』に生まれ変わりたかった、と短いコメントが添えられていたように思う。
(ちゃぺる 7-10) ニ セ モ ン 10月24日(日)
ひとり静かに祈ることを、井ノ元先生から学んだ。
他宗派、他宗教との対話を、三室先生から学んだ。
この二人の牧師を、それぞれの教会の役員たちは、『先生』ではなく、
『さん』で呼んでいた。受けが悪かったのである。
「議論をする前に、静かに祈りましょう」
「教会の独善を警戒しなければなりません」
井ノ元牧師は、密室に篭り文机に頭を垂れた。
三室牧師は、散歩道の石の上に、座禅を組んだ。
都会の大教会から招聘を受けた。
阪急梅田駅の近くだと言う。
下見に行った。
なるほど、梅田駅の直ぐ近くだった。
森に囲まれていた。大自然付きに満足した。
教会の裏庭に出てみた。真っ赤に染まる夕陽の海があった。
好条件なり!
穏やかな水平線に向かって座禅を組んだ。
その瞬間、招聘委員の役員たちに取り囲まれた。
「キシモトさん! あんたの正体見たり。
あんたも、井ノ元さんや三室さんと同じ。
ニセモンや」
夢から覚めた。
(ちゃぺる 7-9 ) ダ イ ナ モ 10月17(日)
秋の日は、釣瓶落し。
家業の手伝いが待っている。
「キッしゃん、お前は、帰ったらいけんど。
三郎とこは、おばちゃん病気やから、早よ帰るのええけどな」
父の病臥、母の小商いを内緒にしていた。
誰にも、弱みは見せたくなかった。
放課後は、野球の付き合いがあった。
ゲームが早く終わるように細工をした。
野球の後は、『賭場』にも付き合わされた。
地面に描いた的に五寸釘を打ち込んだ。
「キッしゃんの一人勝ちやな。
そやけど、勝ち逃げはあかんで」
胴元に利が少し出て、やっと家に辿り着く。
心細そうな路地の外灯が、点いたり消えたり。
「勘弁しておくんなせえ。おっかさん」
三度笠姿の息子を、堅気の母親がどやしつける。
自転車に荷を積んで、前輪にダイナモを押し当てる。
ペダルが重い。腹の虫が泣く。
「こんばんは、キシモトです。
お届けもの、持って参じました」
(ちゃぺる 7-8 ) もうひとり 10月10日(日)
『恋はみずいろ』に合わせて噴水が七色に踊る。
コンパニオンと呼ばれた案内嬢と日本庭園を歩いた。
「わたし、十八。高校三年よ。停学中なの。
社会勉強に万博のコンパニオンしなさいって、
パパと校長先生が決めたの。家は東京よ」
大文字の送り火が見たいと言う。
バイクの後ろに彼女を乗せた。
短い夏が終わった。
万博も終わった。
約束した通り、東京の彼女を訪ねた。
彼女の彼氏にも会った。
「明日の体育の日ぃな、
ボクの彼女のお父さんが経営してる幼稚園でな、運動会があるんや。
君も行かないか」
林田君からの電話だ。
車で迎えに行くと言う。
運動会の後片付けを手伝った。
六甲の夜景を見に行った。
林田君が運転、私は助手席。
後部席には、林田君の彼女と、もうひとり、女の子がいた。
「今日、何の日か憶えてる?」と妻。
「停学中の女の子と別れた日かな?」と私。
(ちゃぺる 7-7 ) 水 族 9月25日(土)
夜勤の休憩場所は、四トン車のキャビンの中。
同い年の運転手と一緒に深夜ラジオを聞く。
ジミー・スミスのハモンドオルガンがフェイドアウトする。
『東洋一を誇る水族館、鳥羽にオープン!』
「ボク、明日、休むわ」
重いキックを一気に振り下ろした。
畳一畳ほどもあるクエが悠々と泳いでいた。
『水族館は、子宮をシンボライズしている』・・・
危ない連想に、野球帽を目深に被った。
素泊まりの看板を見つけた。
宿の風呂は、水族にしてやられたりの窮屈。
帰り道は夜の国道。
ラジオ局のネオンが見えた。
バイクを止めて、トランジスター・ラジオのダイヤルを回す。
『東洋一を誇る水族館、鳥羽にオープン!』
逆探知をするように、小さなビルの中へ入っていった。
四畳半ほどのガラスの仕切りの中に、色黒のアナウンサー。
夜勤の職場へ直行した。
いつものキャビンの居心地の良さ。
鳥羽で、髪の長い可愛い娘に出会ったと仲間に嘘を言った。
(ちゃぺる 7-6 ) 右フック 9月18日(土)
『谷の百合女子学園』学長の杉山公一先生は、穏やかな人柄。
物腰柔らかく、永遠の文学青年。
「そして、若々しい太陽が、白羊宮後半の行程を終えるころ、
また、小鳥たちが、春の思いに心痛み・・・(略)・・・
淑女諸君の、凛とした、明日を・・・希望、します」
チョーサーの詩を引用した何とも言えない浮世離れの式辞。
百五十年の歴史を誇る女子大学に、学長選の嵐が吹き荒れた。
杉山学長は五期、二十年を務めていたが、引退の意思は無く、
学園運営に静かな闘志を燃やしていた。
対立の候補は、若手の教授たちが後押しする山田教授。
ロマンスグレーのオールバックが長身に良く似合う。
二人とも私の教会の熱心な会員であり、役員でもある。
礼拝中、互いが見えないほどの距離に着席する。
伝道部委員長が作成した十ヶ年宣教計画案が役員一同に回覧され、
確認の署名欄が埋まった。
山田教授の署名は、画数が少ない上に書は今ひとつなので、
かろうじて名前の『伊作』でバランスを保った。
杉山先生は、いつもの達筆だ。
名前の『公一』、つまり、『公』、『ハム』の『ハ』の右部分から『ム』にかけて、
辻斬りの袈裟掛けを髣髴とさせる力強く、分厚い筆跡。
「オレの右フックは強い」
杉山先生の平素の上品が際立った。
(ちゃぺる 7-5 ) 刑 場 跡 9月11日(土)
『横町』、『呉服町』、『旅篭町』。赴任した教会は、『京町』。
大型スーパーのあるJRの駅からは、徒歩で十五分。
寂れた小さな田舎の町だ。
教会は、『銀座』の下手にあった。向かいは、履物屋だ。
商店街をバスが行き交ったと言う。ふたひろほどの道路を。
教会堂は、三百坪ほどの敷地の奥にある。
幅ひとひろ半、奥行き二十メートルを、門から車をバックで入る。
町内の人間が、その度に集まった。
「こんど来たセンセイは、車の運転が上手いのう。
後ろ見んとバックしよるわい」
陸蒸気を『銀座』から避けて通したという。
町の歴史に名を残した有力者の仕業だ。
『耶蘇我牧者也』
右から左に読む横書きの大きな書が礼拝堂に掲げられている。
陸蒸気を忌み嫌った教会創立の功労者、吉永長老の筆。
「ここはのう、昔、刑場じゃったがのう。
教会の長老さんが、安うに買うたんぞ」
新妻を怖がらせようと老婆が話し掛けてきた。
陸蒸気を忌み嫌っても、刑場跡には頓着なし。
祈祷室に掲げられた大長老の遺影に苦笑いした。
(ちゃぺる 7-4 ) そうじゃなくて 9月3日(金)
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて、、、やったな」
横山君が、私を見送る玄関でぼやいた。
相槌を打った。
ポータブル蓄音機を下げてヨコヤマ鉄工所を訪ねた。
奥さんが歓待してくれた。
妻の実家の物置にあった蓄音機をグリスまみれになりながら、修理した。
義父が好んだ浪曲のレコードは割れていたが、
洋物のレコードが数枚、良い状態で残っていた。
針はインターネットで購入した。
「キシモトさん、おビールは?」
「ボクは、不調法ですからお構いなく」
横山君の二度目の妻は冗談が通じない。
呑助の横山君を険しい目で睨みつけた。
横山君も私を睨んだ。下らん嘘を付くなと。
ダイナ・ショアを聴いた。
レコードの溝を走る鉄針が横山君の心を乱した。
横山君が、妻の目を盗んで冷蔵庫から二本目のビールを取り出した瞬間、
妻が取り上げた。
「これは、お飲みにならないキシモトさんのおビールです!」
「そうじゃなくて」
(ちゃぺる 7-3 ) 任せたよ 8月14(土)
大きな港町の向かいに『大島』という小さな島がある。
教会学校キャンプの指導員として、ひと夏、その島に住んだ。
牧師が渡し舟に乗って監督には来たが、
管理意識の強い人ではなかったので、「任せたよ」の一言ですぐ帰ってしまう。
気ままな時間を過ごした。
帰省している大学生たちと焚き火を囲んだ。
真っ暗な沖にボートを漕ぎ出して夜釣りを楽しんだ。
夜光虫がオーロラのように漂う海に潜った。
「センセ、裸で泳いでもよかね」
色白の女子大生が水着を浜辺に投げ捨てた。
「その火を跳び越えて来い」
『潮騒』の世界だ。
紛争の時代だったから、大学から遠く離れた所にいても、
そんな緊張から解放されなかった。
昔の友人たちとホームシアターを楽しんだ。
応接間の壁一杯に、『イージー・ライダー』が映し出される。
キャプテン・アメリカとビリー、ヒッピーの女の子二人が
裸で泳いでいる。
服を着て三十年が過ぎた。
(ちゃぺる 7-2 ) ばばつかみ 8月10(火)
「お母ちゃん殺してオレも死のう思うてんねん」
工場の騒音にかき消されそうな孝行息子の電話。
納品先の若い学校職員の応対に業者の悲哀を覚えたと言う。
母親の昼食を作りながら子機を肩に挟んでいる。
「センセ、もう死のう思うてます。
病気いつ治るか分からへんのです」
ベッドのカーテンを閉じて携帯から掛けている。
すすり泣いている。
同い年の主治医は、溌剌とした長身の美人。
三十を過ぎて入退院を繰り返すだけの人生が侘しいと言う。
母を墓参りに連れて行った。
用意に手間取りなかなか出発できない。
古い岩波の文庫本を玄関先で読んだ。
ヨーロッパの農民の間に伝承されて来た風習で、
刈り入れの最後に一束分を残し、それを『ばあさん』と擬人化する件。
それが吉をもたらすのか凶をもたらすのか
文脈を手繰っているうちに母の用意が出来た。
『ばばつかみ』
そんなところかな。
そんなものだろうか。
(ちゃぺる 7-1) 御 萩 8月1(日)
「あなた、手伝って下さらない。
とても間に合わなくてよ」
三山夫人が書斎に向かって大声を張り上げる。
永眠者記念礼拝後のお茶会は夫人手作りの御萩。
山のような小豆餡が大皿に盛られている。
「ボクは、説教の準備中だよ。
そんなことに構っちゃいられねえってんだよう」
とは言ったものの、『サンキュー先生』こと三山九郎牧師は、
夫人の指示どおり餡子を小さな塊に分け始めた。
永遠の時が過ぎるような長く単調な作業だった。
「あなた、明日は皆さんを驚かせるんですからね。
三百個も作れば、あの天狗の花高夫人の鼻を明かせるワ」
翌朝のサンキュー牧師の説教は、
御萩作りと花高夫人への愚痴をさんざん聞かされた疲れで支離滅裂だった。
酷い説教だった。
「神の愛が会衆一同の上に・・・あらんことを!」
決め台詞だ。最後の祝福の祈りだ。これで何とかなる。
「愛」を「御愛」、つまり『おんあい』と重みを付けてみた。
説教のしくじりを取り戻そうと肩に力が入った。
「神の・・・おっ、おっ、おっ・・・おん餡!」
ボクらの滑(ぬめ)り跡
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No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話 61〜66話)
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話)
No.4 歳末特集号(1〜10話)
No.5 冬号(1〜10話)
No.6 夏号(1〜15話)
No.7 続1(1〜12話)
No.8 続2(1〜7話)
No.9 続3(1〜8話)
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