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ボクらの滑り跡 No.3   (11−20話)



−すべてそうさくしたおはなしです−

No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話  61〜66話) 
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話
No.4 歳末特集号(1〜10話
No.5 冬号(1〜10話
No.6 夏号(1〜15話

No.7 続1(1〜12話
No.8 続2(1〜7話

No.9 続3(1〜8話



(ちゃぺる 3−11) 般 若    9月23日(火)


長谷川覚也先生は、土砂降りの校庭で、札付きの不良の上に馬乗りになり、
熱い鉄拳を打ち下ろしていました。

「お前の為や。お前の為や」と泣き叫んでいました。

成人式の帰り道、駅の改札口で偶然、長谷川先生に再会しました。
五年の歳月が流れていました。

先生行き付けの『般若』という名の喫茶店に入りました。

「ヨメはんに、もうあんたみたいなゴリラとは暮らして行けん言われてな。
ヨメはん蹴り倒して肋骨折ってしもうたんや」

「ヒロポンやってはった」との噂がありました。

端正な顔一面に不調和な痘痕があることから町の人たちの勝手な想像を許していたのでしょう。

僧籍に身を置く方であることは、名前の『目覚める也』、
『覚也』から歴然としていました。

「キシモト、お前は彼女おるか? 何、ひとりしかおらん。
そうか、それはそれで良いと言えば良いねんけどな」

決定的に足りない何かが私にあることを、指摘されたと直感しました。





(歌謡学院 3−11)  芸 者     9月23日(火)


芸 者      


『芸者』ちゅうあだなのクラスメートおってん。
中二の時や。

めちゃくちゃ色白いねん。
それにな、髪の毛ボリュームあって、真っ黒でいっつも濡れたみたいやねん。
もちろん富士額。

目ぇは一重の切れ長で、ちょっと流して人見よるねん。
それに動きが日本舞踊的ちゅうか、シナ付きや。

五月みどりの『お暇なら来てよね』が流行っとった。

ダンシ、男の子はそんなんに弱いねん。
何ちゅうても中二や。
表現下手くそやんか。
そのコの前で、「ゲーシャ、ゲーシャ」の大合唱や。

ボクは、考えあるから、そんな連中の仲間に入らへんのや。
それと無くかぼうてやるんや。

バス乗って課外学習行った時や。

芸者がな、「キシモト君、どうぞ」ちゅうて、
ピンク色の魔法瓶からあっつーい紅茶注いでくれた。

♪お金も着物も いらないの
  あなたひとりが ほしいのよ 

ドドンパのリズムが懐かしいのう。





(ちゃぺる 3−12)  内 縁   9月24日(水)


サイドカーのように、側車の荷台を付けた自転車と言えば、
ガラス屋さんか豆腐屋さんと相場が決まっていました。

豆腐屋の赤畠のおばちゃんは、働き者でその名が通っていました。
豆腐の商いだけではなく、ドライブインの皿洗いに封筒貼りの内職と一日中働きずくめです。

おばちゃんは、戦争未亡人でした。

実家はお寺さんだと近所の人が言っていましたが、
郷里とは疎遠になっているようでした。

町の人たちは、赤畠のおばちゃんを、『アカハナのおばはん』と蔑んで呼んでいました。

冬の早朝、吐く息が白いような寒い日、
自転車を漕ぐおばちゃんの鼻の先が赤みがかっていたことを覚えています。

今にして思うと、おばちゃんは、抜けるような色白肌で、
オトコ好きのする容姿のの女性だったようです。

働きもしない男の人を家に連れ込んでいることが、町の人たちの神経を苛立たせました。

小学四年生で、『内縁』という言葉を知りました。






(歌謡学院 3−12) 讃岐うどん 9月24日(水)


讃岐うどんがブームらしい。

あれはウマイ。腰あって。

二十歳ぐらいの時やった。
四国のおばあちゃんの家よう一人旅したんやけど、
鷲羽号に乗って真夜中、宇高連絡船に乗り換えや。
船の上で初めて讃岐うどん食べた。

香川県のタクシー会社がうどん屋めぐりを始めたらしい。
テレビの夕方のニュースでやっとった。
大阪のおばはん三人の仕込みや。
運転手さんに連れられて、そらめちゃくちゃ喧しい。

「この釜揚げおいしいわ」
「この冷っこいぶっかけもおいしいで」
「こんなん何杯でもイケるやんか」

「ところで運転手さん独身?」
「ワハハハハハ・・・・・・」

アホなこと聞いて盛り上がっとる。

あれ? テレビに写ってる真中のおばはん、うちのヨメや。
里のお母さんの顔見てくるちゅうて出かけたんと違うの。





(ちゃぺる 3−13 ) ススムちゃん  9月25日(木)


午前四時頃でした。電話の音で目が覚めました。

「ススムちゃんとこ大変やねん。センセ早よ来て」

正真正銘の100馬力、古い型のブルーバードのライトバンを
山田進さんのお宅を目指して走らせました。

霧の山道はライトを下向きにしないと道の輪郭が分りません。
ライトを上向きにしますと、目の前が真っ白で何も見えません。
苛立ちを押さえながらエンジン出力100パーセントのギアチェンジを
繰り返しました。

薄っすらと夜が明け始めました。

乳濁色の霧の中から青い空気の壁の中に飛び込んだと同時に、
木の焦げる匂いが車中に充満しました。

消防団の人たちの怒声が聞こえます。

新築したばかりの山田さんのお宅はほとんど全焼でした。

ススムちゃんは、その時、55歳、私は25歳。
おろおろする私を見て、ススムちゃんが・・・

「母屋は燃えたけど、牛舎は無事やった。
 今日の搾乳大丈夫や」





(歌謡学院 3−13) 足踏み   9月25日(木)


ギーコ・ギーコ・ギーコ

足踏み式の脱穀機や。

なんでも、古代米つくっとる人らが、古代米は新しい機械にはかからんから、
昔の足踏みやないとあかんとテレビで言うとるねん。

「うちの家にもあの足踏みの脱穀機あってんで」

自慢そうにヨメが言いよる。

「それで? 
 言うてみい、数少ないお前の自慢話」

テレビの前でごろごろしながら聞いてやった。

「お父ちゃんがな、近くの田んぼ借りてお米作ったはってな。
 お兄ちゃんらとあの脱穀機踏んだおぼえあるわ」

「それで? 他にないの、もっと自慢すること。
 足踏みのミシンとか、綿菓子の機械とか」

背中思いっきり踏みつけて、台所へ行ってしまいよった。
悪いこと言うたかな。





(ちゃぺる 3−14) 双 子    9月26日(金)


午前0時過ぎ、ある町の警察署から電話がありました。

双子の女子高生を保護しているとのこと。

この双子の姉妹は、学校の特別な計らいで近所の新聞販売店の二階に
下宿を認めてもらっていました。

どこか遠くへ行きたいと思って、京都駅から行き先もわからないまま
二人で汽車に乗ったらしいのです。

警察署までは90キロほどの距離でしたが、その町は、かつての赴任地。
勝手知りたる何とかで、すぐに到着しました。

「そんな早よ着きますか? いくらなんでも・・・
 センセ、ここ警察でっせ」

「家に帰ろか」

「お母さんに絶対言わんといてくださいね」

「お腹は、すいてないかい?」

「・・・・・」

返事が無いはず。二人とも後部席でぐっすり眠っていました。




(歌謡学院 3−14) よだれくり   9月26日(金)


「責任者出てきやはったら、どないすんねん。
このドロ亀、よだれくり!」

大学紛争終わったあたりの時期、夕方の新京極、
京都花月の寄席ちゅうたら客ぱらぱら。
そら淋しいもんやった。

そやけど、舞台は誰も手ぇ抜かへんのや。

生恵幸子のハイテンション思い出すわ。
人生幸朗、ジンセイのおっちゃんが百ほど喋って一返すねんけど、
あんまり漫才うまいことないから、この部分、めちゃくちゃ真剣や。

「ドロ亀!」がうまいこと行って、流れが変わるとな、
へたくそなアカペラが続くんや。客引きまくりでも平気やで。

♪シアワセは 歩いてこない だから 歩いていくんだよ

「馬鹿者! なんたる分けの分らん歌を、とうとうと。
 賢明なるみなさまの前で。銃殺に処するど!」

こんな感じやった。

ヨメが台所でなんか調子の外れた唄、歌うとる。

部屋の隅で、新聞読んでぶつぶつボヤいとるの誰?
ワタクシかいな。





(ちゃぺる 3−15) ラビット号   9月29日(月)


小さなドブを挟んだ裏隣は、クリスチャンホームでした。

美しい三姉妹がオルガンを競って弾き、
讃美歌のコーラスが毎日聞こえてきました。
末っ子さんが私より一つ年上でした。

町内の班が違ったので、近所付き合いはありませんでした。

子供の頃の怪我が原因で、体を曲げられなくなった婦人伝道者を
教会に招いたことがありました。

ストレチャーの移動を甲斐甲斐しく手伝っている一人の夫人に声を
掛けられました。

「キシモトさんところの息子さんですね」

裏隣のおばさんでした。

「おばさん、ボクは、裏の家から聞こえてくる讃美歌を良いなと思うて
 教会へ行くようになったんですよ。
 あのラビット号に乗っておられた大きな体のおじさんもお元気ですか?」

おばさんは、私の肩の埃を払いながら・・・

「あなたには、わたしたちのクリスチャンホームが、
 そんな良いものに見えていたのね。そんな風に言ってもらって。
 主人は亡くなって十年になるのよ」

「天に召された」という言葉を避けられたようでした。





(歌謡学院 3−15)  ハープ     9月29日(月)


イーデス・ハンソンが、言うとったな。
大型ゴミの日は楽しいちゅうて。

ボクもおんなじ考えや。

壊れた肘掛椅子が捨ててあった。
ウオールナット、くるみの木ぃや。
これで何か作ったろ。

肘掛の部分だけ持って帰ってな、エルの部分に十号の釣り糸通して
「ハープ」作ってこましたった。

風呂上りにな、下の娘に「北国の春」弾かせて、
それ聞きながらウタタ寝や。上の娘には団扇持たせた。

ローマの貴族が奴隷オンナにそんなことさせてるやんか。

えー気分や。えーコンコロもちや。

「お母さんが、ベリーダンス踊ってあげる言うたはるよ」

それは止めて。
それだけは、勘弁してな。




(ちゃぺる 3−16) あひる    10月1日(水)


あひるにに乗って、百田先生はやって来られます。

あひるとは、遠藤周作夫人も運転していた
ダットサン・ブルーバードのことです。

「あなた、応接室にだれかいますよ」

「百田だっ!」

百田先生は、悠々と教会の応接室で弁当を広げておられます。
先生の教会まではあと一五〇キロほどです。先生は『父の家』
での休息に遠慮はされません。

二歳になったばかりの娘が、先生のコーヒーカップに手を伸ばそうとした瞬間、
「ピシャリ!」

「きちんと躾なければなりません、キシモト君!」

あひるに乗せられて百田先生の町を案内してもらったことがあります。
風光明媚な観光地です。先生は、駐車禁止の場所に平然と車を止められます。
係員が飛んできました。

「百田だっ! 教会の百田だっ!」

「躾が足りなかったようだ。すまん、キシモト君!」





(歌謡学院 3−16)  かおり     10月1日(水)


ボクの友達ちゅうたら嘘つきばっかしや。

なに、お前がそのサイたるもんやないかってか。
それはちょっと置いといてや。

「もう分ってしもうたやろ。
 俺も男らしゅう世間にホンマのこと言うことにしたわ。
 亜矢子とのことやけど」

自分のことアンソニー・パーキンスや言うてきかん長い付き合いの
「嘘つき」の友達や。久しぶりに電話してきよった。

テレビのワイドショウみたら、沢田亜矢子が芸能生活三十周年パーティーやっとる。
172センチもある別嬪で長身の娘、「かおり」ちゅう娘と一緒にデュエットしとる。

「ああ、コレやな」と思うた。

「亜矢子はワシの名前は出さへんちゅうとったけど、
 かおりはワシの判子やろ。別嬪で背ぇ高いから、
 もう隠せへんわ」

何言うとんねん。
お前は体育祭の行進、いちばん前歩いとったやないか。





(ちゃぺる 3−17) 遠 縁    10月1日(水)


「ボク、今日、泊まっていきなさい」

母と訪ねた遠縁の親戚宅で、おばさんが私に向かって言った。

昼に、出前のきざみきつねうどんが出されて、
夕方近くまで、母とおばさんとおじさんが話をしていた。

母は着物姿であったように思う。

次の日の朝、かなり早く起こされた。食卓に鯛の頭の煮付けがあった。
その家が魚屋ということを知らなかった。
家から少し離れた商店街に店があった。

大阪のど真ん中にある大きな商店街とその周辺の人々の暮らしに圧倒された。

昼も夜も美味しい魚が出た。

遠縁の親戚の人たちと自分との関係に、
なにかしらロマンティックなものを感じた。

「家まで送ってあげる」

三十キロほどの道程を
ホンダのベンリー号にしがみついて家にたどり着いた。

村上水軍に遡る遠縁らしい。





(歌謡学院 3−17) ダッチ・ボイス  10月1日(水)


ボクの無線仲間で中山カオルちゅうツレがおるねん。
カオルちゅうても男やで。

この男はアマチュア無線一級や、「一アマ」や。ボクは二級やから「二アマ」や。
二アマちゅうても尼崎第二中学とちゃうで。

カオルは一人もんやねん。
若い女の子がええちゅうもんやから年々縁遠うなっとるねん。
そやけど、毎日風呂二時間も入って磨きよるねんで。
どこ洗うとんねんやろ。

毎日夕方になるとな、ボクの家の近く車で通りよるねんけど、
用もないのに無線で呼び出しよるねん。

「前方三〇〇メートル、交差点左折します。カオルさぁん」

あれ? 女の子乗せとる?

「カオルさん言うとるけど、どこのコ乗せとるん?」

「キシモトさん、カーナビや。ちょっと細工してな、
アナウンスの後ボクの名前言うようにしたんや」

『ダッチ・ボイス』やなちゅうたら、気ぃ悪うしよって、
しばらく応答なしや。




(ちゃぺる 3−18) 父子鷹(おやこだか) 
                      10月10日


娘たちが小さかったころ、城の絵を描くというだけのために
夜のフェリーに乗って松山へ行ったことがある。

道後温泉にも立ち寄った。
しかし、なぜか街の中心を離れ車を奥のほうに向かって走らせてみた。

鄙びた温泉があるに違いないと思ったからである。

その当時でも、どこを探しも無いような、かつて「ヘルスセンター」と呼ばれ、
もてはやされたが今その面影も無い「腐った」ような「パラダイス」が忽然と出現した。

センターには、大衆演劇一座のショーが開演していた。
小学五年生の上の娘に是非見せてやりたいと思った。

「父子鷹」を白塗りのこどもと恐らく座長の父であろう祖父が舞っていた。

歌謡ショーにも堪能した。

足元がぬるぬるする大浴場に父子鷹の二人がいた。

私とその二人のほか誰もいなかった。





(歌謡学院 3−18) 耳掻き   10月10日(木)


「あんた、耳掻きどこやったん。
 使うたら元のところ戻しといてって、いっつも言うてるやろ。
 ほんまに、どこやったん!」

こめかみに梅干の皮貼ったヨメがイライラしとる。

知らん顔しとったら、そばへ寄って来よって、
ボクの耳おもいきり引っ張って・・・

「耳掻き知らんかっちゅうてるやろ!」

仕方が無い。
こんなオンナでもボクのヨメや。

器用なボクは、スミス&ウエッソンのフォールディングナイフで竹削って、
ヒジョーに具合のええ耳掻き作ってやった。

「あんた、これなかなかええやん。
 出来るんやないの。やったら出来るんやないの。
 ついでに十本ほど作ってな、友達にあげるねん」

「ほんま、あんたの主人優しいワ。
 うちなんかロクでもないんよ」

そんなこと十人にきっちり言わせて、
上機嫌で帰って来よった。





(ちゃぺる 3−19) ツッカケ   10月16日(木)


いつも行く銭湯は、丸い湯船にちなんで「園湯」、
「そのゆ」という名前でした。遊び人風のおじさんが話し掛けて来ました。

もちろん背中には、龍の彫り物です。

「お兄ちゃん。アルサロ行ったことあるか?
 一回、連れて行ったげよか」

生返事をしていたら、風呂桶を持ったまま、
駅裏の怪しげなバーに連れて行かれました。
二人ともツッカケ履きです。

「ワシは、ハイボールや。この兄ちゃんには、カクテルや、
マンハッタン持って来たって。ワシ、大学生と友達なんやで」

ツッカケ履きに風呂桶持ってアルサロへ行ったことがありますと、
神学校の卒業式後の茶話会で、ツワモノを気取ったら、

学部長が・・・

「何言うとる、キシモト君。
 今日から君は牧師やで、ツッカケ履きがどうした。
 どんな格好しててもな、どんな相手でもな、
 そのままの格好で対等に人と会うのが君の仕事や」





(歌謡学院 3−19) 可愛げ    10月15日(水)


高橋英樹がフェリーの船長役で、殺人事件なんかを解決するドラマ、
あれ好きやねん。

どのへんがちゅうとな、
大人のオンナの「可愛げ」見せてくれる場面が必ずあるやろ、あれ好きやねん。
妻役の音無美紀子なんかの物の言いようや仕草、そこらのおばはんとちゃうやろ。

知り合いの夫婦が自殺した現場や。

高橋英樹、このオトコな、言うとくけど、顔のつくりは別として
ボクに体型とか雰囲気そっくりなんやで。

そういう現場ではな、目ぇ見開いて仁王立ちや。

音無美紀子は高橋英樹の背中に隠れてな、目ぇそむけて、
震えよるねん。ぐっとくるな。この可愛げのある演技。

そやけど、あれは嘘や。ドラマや。

「あんた! 怖がってたら何も出来へんよ。
 今日も負けかいな。前に出ぇいうてるやろ。
 なんかあったらすぐ、お義姉さんやワタシのスカートの中に
 隠れようとするねんから。ほんまに、しっかりしいや!」

可愛げないわ。





(ちゃぺる 3−20) コサージュ  10月20日(月)


「キシモト君、
明日からは、いつものふざけた身なりは慎みなさい」

新任地へ向かう前日の夜、
先輩の牧師、大師匠とも言うべき田代先生から『ダメ出し』の電話がありました。

平素の私のファッションは、フランス映画やイタリア映画で見たレジスタンスや工場労働者がお手本です。
よれよれのツィードのジャケットの下に、ごわごわのエンジ色のシャツとくたくたのネクタイを合わせる、
と言った具合です。それに、キャスケット帽を忘れません

ハレの日には、頭の先から爪先まで、ポワロになりきります。

神学校の卒業式の日、
私の胸のコサージュが大師匠の神経に障りました。

先生の目には、レジスタンスもポワロも『ふざけた身なり』の最たるものなのです。
私は、そのような身なりが、牧師の仕事に大きな広がりを持たせると確信していたのですが。

しかし、牧師徒弟制の最後の生き残りを自負する私は、
翌朝から十年、質流れの略礼服に身を包みました。

最初で最後の『ふざけた身なり』となりました。





(歌謡学院 3−20) オロカ    10月20日(月)


お茶の稽古に行っている娘を迎えに行った日のことや。

だいたいお茶の世界は『淡き交わり』なんか言うとるけど、
こそぼうなるようなシチュエーション先に作っといて、
なんやらかんやら訳の分からんうちに手元に引き入れられる。

娘の師匠、苦手やねん。ボク。

そやから、お稽古と雑談がきっちり終わった時間見計ろうて、迎えに行くんやけど、その日な・・・


「お嬢さんのお稽古終わってますねんけど、
今日は、ワテの師匠も来てなはってな、
お勉強ちぃーと長うなってんのドス」

しもうた! 

茶室へ通された。

「茶川一郎をアクタガワ・イチロウと読んだ人おましてな。
ほんま慌てモンやな、なんか言うたりしてからに、オロカ」

大師匠ウケたはる。

そやから、茶席は苦手や言うたやろ。





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