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ボクらの滑り跡 2
夏休み特集号
(ちゃぺる&歌謡学院)
−すべてそうさくしたおはなしです−
No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話 61〜66話)
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話)
No.4 歳末特集号(1〜10話)
No.5 冬号(1〜10話)
No.6 夏号(1〜15話)
No.7 続1(1〜12話)
No.8 続2(1〜7話)
No.9 続3(1〜8話)
夏休みに、少し書いたものがありますので、
お読みいただければ幸です。
なお、これまでの掲載分を小さなシロウト本にしましたが、
既に「絶版」となりましたので、秋の深まりの時期に、
二刷を作ってみようと思っています。
(夏休み特集号の「あとがき」です)
創作日記を書いてみた。来る日も来る日も、毎日、あること、ないことを、
書いてみた。暫くすると、それらが、ナメクジの這った、滑り跡のよう
に見えてきた。
ボクにでも、何か残せるかも知れないと思った。
友人に、原稿をファックスで送った。快く、監修を引き受けてくれた。
大菩薩峠の机竜之介を捩って、デスク・リューノスケを名乗って貰った。
昭和の三十年代に小学生時代を過ごした。ムカシの話題が多いが、
過去を記録したものではない。
傲慢な言い様だが、「一般キョーヨー」の教科書を執筆したような気分に
なっている。
印象派が好きだ。
牧師としてスケッチしたことを、「ちゃぺる」に、芸道において研鑚したことを、
「歌謡学院」に書き分けてみた。境界線が明確でないとの、お叱り、ご批判が、
著者の願う所である。
(ちゃぺる・2−67) 誕 生 日 7月22日
五十四歳の誕生日を迎えた。
皇帝じゃあるまいし、誕生日など讃えないで欲しいと、ヒネクレたことを、
妻や子供に言い続けて来た。
病人を見舞った。大部屋なのに、かなり具合の悪そうな人がいる。
ベッドの上の名札を見ると、私より五歳ぐらい若いことが分かった。
しかし、顔色がドス黒く、ぱっとしない風貌から、その年齢には見えない。
パートの勤め帰りの奥さんらしい人が、見舞いに来ていた。
その人は、とても起きられる状態ではないのに、トイレに向かった。
とぼとぼ、とぼとぼ歩き始めた。
その行為は、妻にも止める事は出来なかった。私は、その人の歩行を目で
追った。歩き始めたばかりの長女を見た日の記憶が呼び覚まされた。
「あんた、それだけは、自分でしたいのやな、お父ちゃん」と妻の言葉
だけが後を追う。
翌日、中学の制服を着た娘、小学生の息子、そして妻が、その人のベッドに
泣き崩れていた。
その日、長女からは、小さな花束、下の娘からは、木陰で午睡を楽しむ呑気
な私らしき人物のイラスト、妻からは、「お人好しもほどほどにネ」のメモ
付きのペーパーナイフ。
あれほど禁じているにも拘らず、、、。
(歌謡学院・2−67) ガーゼのハンケチ 7月22日
たまに、下宿人の母親がな、「こどもがお世話になってますぅ」ちゅうて、
教会訪ねて来よるねん。
母親ちゅうても、いちおうオンナや。
娘と姉妹やちゅうても、通用するようなシュッとしたヒトもおるけど、
その反対もおるがな。
このアツイ時期。なんちゅうか、暑苦しいちゅうか、汗だくで来やはる
ヒトおるねん。
マネキンが着てた時とはエライ様変わりの、ぴちぴちの白いブラウス、
そうしか言えんようなモン着たはるねん。
手には、爆弾、― ちゃうがな、そやのうて、ビャクダンの扇子や。
「親の目ぇ届かんとこで、勝手気儘なことして、
ゴメイワクをかけてませんやろか、
かけてるに決まってますわ、あんな娘やから」
そんなことをや、鼻の頭に、汗の粒一杯ためて、一気にまくし立てよる。
決まって、そんなヒト、話しながらな、ガーゼのハンケチをな、えらい力で
これ以上、畳めんちゅうぐらい、小ぃそうに、たたまはるねん。
小ぃそうに折り畳んだハンケチ、いじらしいモン感じるワ。
笑ろうたったらあかんで。おばはん扱いしたったらあかんで。
ガーゼのハンケチ。ほんま、いじらしいワ。
(ちゃぺる・2−68) 豚 饅 7月25日
「イーちゃんのお母さん、豚饅食べながら亡くなったそうよ」
現在、鎌倉に住んでいる、私たち夫婦共通の友人、藤伊津子さんのご母堂が
お亡くなりになっておられたことを、妻が掛けた「ご無沙汰電話」で知った。
好物の豚饅を手にし、口に運ぶや否やの大往生だったとのこと。
イーちゃんこと、伊津子さんは、お寺の娘に生れました。賑やかな鳴り物が
本堂にある宗派のお寺です。父親は立派な教育者、母親は、控えめを第一とする、
典型的な庫裏の奥様でした。
『タコ焼き喰い』が、大阪を離れ、地味な研究者の夫、それも鎌倉へ嫁ぐことは、
大センセイションでした。
しかし、それを越えるもっとスゴイことがありました。
イーちゃんがクリスチャンになったことです。それも、教会学校の教師を任される
ような教会員になったということです。
豚饅の話のついでに、藤伊津子さんのご母堂が、クリスチャンであったことも知り
ました。讃美歌が編を重ねる度、その「味わい」が薄れて行くと嘆いておられた
そうです。
イーちゃんが、大好きな関西を離れ、母親の「控えめ」を教科書とし、
自分の道を探し求め続けてきた事に、限りない畏敬の念を覚えました。
(歌謡学院・2−68) あんたも立派 7月25日(金)
普段、あんまり、付き合いはないけど、何処かで血ぃ繋がっとる、
まどろっこしい言い方やけど、要するに、そんな感じの親族、
親戚おるやろ。
法事とかで集まることあるやんか。絶対したらあかん話題あるわな。
限度を越えた自慢話。それと、もっと、あかんのは、、、。
学歴の話題や。
「ある」ヒトが、「ない」ヒトのこと何かいうのとちゃうで、
たいてい、その逆や、、、。それも、もうお開きちゅうような時に、
モメたりするんや。
そやから、そんな雰囲気なってきたら、カシコイ親族が話題を変えてくれる
ねんけど、、、。
「おまえんとこ、娘、どこの大学やったかいのう」、うゎ、きたで、来た。
酒クセ悪いの絡んできよった。マー兄、瓢箪山のマサヒロ兄さんや。
「なに、ぼちぼちやて、何や、そのわけの分からん返答は。
ところでな、ワシ、ガッコ行ってへんから、よー分からんのやけど、
大学三年から大学院行けるんか?
キョーダイ行っとる息子が、そんなこと言いよるねん。
ワシは、息子をな、三歳まで、キッチリ教育したけど、後は知らんのや」
兄さん、あんたの息子も、あんたも立派です。
(ちゃぺる・2−69) 蝉 の 介 護 7月27日
ネコを六匹も飼っております。
野ネズミ、モグラ、鳥類、トカゲ、ヤモリ、蛾、蛇、バッタ、、、。
ネコは気紛れなハンターです。狩りの得物を得意満面で家の中に持ってきます。
昨日、珍しいものを咥えてきました。羽化寸前の蝉です。
机の上にそっと置きました。全身が濡れています。なんとも、頼りない感じです。
娘に化粧用のコットンをもらってとまらせました。ゆっくり羽根が乾いて行きます。
あんまり近づいて見ていたものですから、「ひっかけられるわよ」と、
妻に注意されてしまいました。
しかし、安心です。蝉は、コットンにとまっていますから。蝉はオムツを当てられた
ような感じにも見えます。
「蝉の介護するとは、思わなんだなあ」
「あなたは、いつも、そんな調子」
得物を取り上げられたネコは、不機嫌になり、低い声で唸っています。
突然、火災警報が鳴ったかのような蝉の産声。翌朝、蝉の兄弟姉妹の大合唱で
目が覚めました。
(歌謡学院・2−69) あんのーえ・サ 7月27日
大阪のニンゲンは、どこ行っても大きな声で大阪弁喋るやろ。
ボクは、そんなことしないけどサ。上海のニンゲンもそうなんやて、
人に聞いたハナシやけど。
四国の今治へ行った時のことや、ボクの話し方、笑うヤツがおるんや。
『さかい』を連発するのがケッタイなんやて。
「そやさかい、ゆーてるやろ」ちゅう時の、あの『さかい』や。
今治のニンゲンもそんなこと言うてるけどな、どこ行っても、今治弁。
まっ、簡単に言うと、『坊ちゃん』の中で漱石がデフォルメした『伊予弁』
東京で仕事しとるような人も、絶対、関東弁の影響受けたりせえへんらしい。
ところがや、これは、京都や大阪でもそうなんやけど、ちょっと中心離れた
トコの人な、他所、早よ言うて、東京なんか行ったりするとや、構えてしもうて、
ニワカ江戸っ子になったりするねんで。
今治でもそうらしい。
東京の大学行っとるヤツ。帰省した時な、仲間に、
聞き苦しい東京弁、喋っとってんて。
「あのサ」というところや。『あんのーえ・サ』と、ゆーてしまいよった。
なんぼ伊予弁ちゅうても、今治市内のニンゲンは、
『あんのーえ』ちゅうようなヒナタイ言葉、絶対、使わへんねんて。
(ちゃぺる・2−70) 綾部のハナシ 7月28日(月)
スーパーの食料品売り場の通路が塞がっています。何かあるのかと目を遣ると、
手押し車のお婆さんが、友人同士と見られる二人の若い主婦に、話し掛けています。
「オタクさんらは、綾部のヒトだすか? 綾部のハナシ、したはったさけえに、
声掛けさしてもらいましてんやわ」
お婆さんは、全く面識のない人に、声を掛けていたのでした。
同じ京都府下と申しましても、この南部の小さな町から綾部までは100キロ以上
も離れています。このお婆さんは、この町で、どんな暮らしをしているのか気に
なりました。
二人の主婦は、このお婆さんを、邪険に扱ったりすることなく、丁寧な応対を
続けています。
「ワテはな、綾部の駅からホン近くのところに、親戚おましてな」
「駅の近くですか。わたしらのサトは、もっとイナカですねん」
お婆さんは、この町に住む息子さん家族との同居を、つい最近、始められた
ばかりなのかも知れません。
お婆さんが、綾部に残してきた、真夏の太陽がジリジリ照り付る、
お気に入りの小さな畑が目に浮かびました。
勝手な想像ですが、、、。
(歌謡学院・2−70) 『道』なのサ 7月28日
牧師の見習の、またその見習のときのハナシや。
H室センセイ、このセンセは、西洋直輸入のキリスト教ちゅうモンに疑問もった
はってな、座禅なんか取り入れて、瞑想とかしやはるねん。
とにかく、既成概念ちゅうモンに、挑戦的なセンセなんや。
そやけど、支離滅裂、がむしゃらちゅうようなことでは、ないんや。
なんせ、海軍やから、考えかたが、系統的ちゅうか、組織的なんや。
「キシモト君、ボクのは、キリスト『教』じゃなく、キリスト道、
『道』なのサ」
八代亜紀が好きなんや、このセンセ。
そやけど、周りにいる人らは、センセイがなんで八代亜紀が好きか、
あんまり、分かっとらんかったな。お堅い教会の空気、風通しよう
するためにセンセがそんなこと言うたはる、そやから、クサイ言い方
やけど、「時代のニーズに応える」教会つくるのに、センセが味方に
なってくれる、そんな風に思うた人も少のうなかったんや。
ちゃうねん! センセは、「雨 雨 ふれふれ もっと降れ
わたしの 良い人 連れて来い」を、雨イコール、苦、
わたしの良い人イコール、イエス様、そんな風に聞いたはったんや。
めちゃ自然なんや。かつ、論理的なんや。
『道』ちゅのは、そのまま、歩いて行ったらええだけ、ちゅうことや。
(ちゃぺる・2−70) 小 夜 子 8月5日
いつも乗るバスの車掌さんは、小柄で細面、色白の美人でした。
職業を持った若い女性と言えば、看護婦、保母、それにバスの車掌が、
私の身近な存在でした。
揺れるバスの中で、胸の名札に目をこらしました。
「小夜子」、何と読んで良いのか咄嗟に分かりません。
姓ではなく名前の三文字だけが、大きく目に飛び込んできます。
「さよこ・・・・・かな?」
高校生になるまで知らない名前でした。
FM放送が開始された時代でした。SONYのポータブルラジオから、
『小夜子』が流れてきました。
アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク
英語で、ワン・リトル・ナイト・ミュージック。可憐な、「小さな夜の調べ」、
そういう意味ですね。
小夜子嬢を、「お構いして差し上げたい」。
そんな奢りが惨めに打ち砕かれる蒼いワタクシでした。
どんな大人の男になったら良いかを、思い知らされた、
『白い夢』の時間でした。
(歌謡学院・2−71) クルッ、クルッ、クルッ 8月5日
ボクな、バレー大好きなんや。なんせ、ボクは、上品やからね。
にっちょ(日曜)の晩、時々、NHKの教育テレビでやっとるやろ、あれ、
何ちゅうたかいな、「芸術劇場」、それや。バレーの特集あるとな、
ヨメと一緒に見るの楽しいねん。
おとついの夜、それ見とってん。出し物、いろいろあったんやけどな、
真ん中あたりで、
ロシアの男前のダンサーが、両手に花、つまりや、左右のオンナと手ぇを
クロスさせて浮かれて飛び出して来よった。
えらい浮かれようやで。
クルッ、クルッ、クルッ、クルッ、クルッ、車を売るなら、ユーポス!
右のオンナと手ぇ組んだか思うたら、左のオンナが、ちょっと離れて、
ピョンピョン、ピョコピョコや。右のオンナが、後ろに下がったか思うたら、
左のオンナが、男の前をスイスイスーイや。
「あのオトコマエ、若い頃のボクみたいやな」
「ワタシは、右のベッピンの方かな?
左のオンナは、あのブッサイクで性ワルの、あんたを捨てたあのコやな」
「あほか、何いうてんねん。 どっちもちゃうわい! どっちも無い、
無いちゅうたら無いんじゃ!」
他所のオタクでは、バレーの番組、どんなふうに、観たはるんやろか?
(ちゃぺる・2−72) へ し こ 8月8日(金)
台風十号接近。
妻と二人だけの昼食。
台所が薄暗い。
鰯の「へしこ」で、お茶漬けを掻き込む。
「台風やな」
「メダカの甕、雨で溢れるかな?」
こどもの頃の、台風の時期の記憶を辿った。
窓を戸板で打ちつけ、ロウソクを用意し、台風の通過を待つ。
シェルターに、父母と兄弟だけが身を潜める時間だ。
今にして思えば、
出エジプト記の「過越」を彷彿とさせる体験だった。
ラジオ大阪から「お富さん」が、聞こえてきた。
懐かしのメロディーとか、そんな趣向なのだろう。
陽気なウッドブロックが、コンコ、コロコロ、コンコ、コロコロ。
あのシェルターの中でも、多分、春日八郎が流れていたような気がする。
(歌謡学院・2−72) 野生のエルザ 8月8日
『夏休み特集号』の締めくくりは、お盆のハナシや。
下宿人が親元へ帰ってしまいよった。
あいつら、おらんようになってセイセイしたんやけど、
なんか、ちょっとサミシイ。
なに、お盆やから、ヨメも、娘も、サトへ今から行くってか。
「あんた、行くの? 行かへんの? どっち?」
「なんや、その聞きようは、ワシは、行ったらあかんのか」
「あんたはな、わたしのサトへ行ったらな、
帰ってきてから、疲れた、疲れた、言うやろ。
わたし、それ聞くだけでもシンドイねん」
ワシが、人に気ぃつかう繊細な性格の人間ちゅうことや、
馬鹿にしとるねん。
「勝手に、三人で行ってきたらエエがな、ワシはネコと留守番や」
ボクは、自由なニンゲンなんや。本質的に・・・・・
フリーなニンゲンなんや。それ分かってや。
このお盆の時期、ボクの気持ちは、野生のエルザや、
なに、それって? テーマ曲覚えてる?
― Born free as free as the wind blows ―
−すべてそうさくしたおはなしです−
No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話 61〜66話)
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話)
No.4 歳末特集号(1〜10話)
No.5 冬号(1〜10話)
No.6 夏号(1〜15話)
No.7 続1(1〜12話)
No.8 続2(1〜7話)
No.9 続3(1〜8話)
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