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   No.6ボクらの滑り跡


この創作日記は、キシモト牧師とその友人のデスク・リューノスケが、
余りの退屈の日々の徒然に、眉間に残る天下御免の向こう傷の疼きに
快を覚えた日々を追憶しつつ、ナメクジの這った滑り跡を追いかけるように、
『ボクら』のジンセイを精査したカキモノである。

ボクらには、ほんの少しのお湿りが嬉しい。
このご時世のあまりの乾燥が悲しい。

「オタクもそう思わはりまっしゃろ」

勘違い、間違いの多いカキモノであるが、

― クレヴァーハウスの竜騎兵の銅鑼太鼓は、
     夜風に乗って鳴り続けねばならない ― のである。

               


−すべてそうさくしたおはなしです−

No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話  61〜66話) 
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話
No.4 歳末特集号(1〜10話
No.5 冬号(1〜10話
No.6 夏号(1〜15話

No.7 続1(1〜12話
No.8 続2(1〜7話

No.9 続3(1〜8話





  ち ゃ ぺ る


(ちゃぺる 6-1) 田舎のバス  1月3日(土)


その時、五歳だったので、昭和29年の正月のことだ。

古い記憶を辿ってみた。

宇高連絡線の中で食べた蜜柑とゆで卵の味をしっかり憶えている。
母は、弟が生まれるまで里帰りをしていなかった。

弟が、新居浜駅から別子銅山に向かうバスの中で、
「田舎のバスや!」と、『中村メイコ』をおどけて見せた。

バスの中が爆笑に包まれた。
母が乗客に詫びた。

真っ暗な田舎道を歩いて母の実家へ向かった。

裸電球の下で、大勢の男たちが餅をついていた。
最後の臼は、蒸かした薩摩芋を入れた『芋餅』だ。
すでに、海老餅も豆餅も、つき上がっている。
小豆の餡が芋餅にくるまれた。

叔父が、勢い良く北風の音を仕込んだ凧をあげた。

二泊して大阪の家に帰った。

父が一人で、火鉢に餅を入れた小さなスキヤキを作っていた。

なぜ、父も一緒でなかったのかと、
今年も、一人暮らしの母に聞き出せないままに、
新年を迎えた。



(ちゃぺる 6-2)  水 葬    1月8日(木)


古いビデオを整理していたら、
『水葬』の場面が、ノイズの中から現れた。
帆船時代の映画のようだ。

布に包まれた遺体が、冷たい海に沈んで行く。

去年のクリスマス礼拝の前日に、一人の長老が召された。
家族が教会に気兼ねをして、後日「偲ぶ会」をするということで、
親族だけで密かに葬儀が行われてしまった。

釈然としない思いが残った。

二十年ほど前にも似たようなことがあった。
しかし、その方は、クリスマス礼拝の丁度一週間前に召されたので、
告別の説教は、「この兄弟は、東方の博士たちをイエスの誕生の場に導いた
あの星のごとく、私たちにクリスマスを指し示しつつ、
その主にある生涯を閉じられました」と。

天狗になって仲間の牧師にその話をした。


「ワシが死んでも、親の死に目に会うことを無理に都合しなくて良い。
お前たちの日常を優先させなさい」

そんな父の言葉に甘えて、父を「忙しさ」という布に包んで
『水葬』してしまった十年前の苦い思い出に泣いた。


思わず、口ずさんだ。
―海行かば、水漬く屍―



(ちゃぺる 6-3)  変な人     1月13日(火)


寒い日が続いている。

上の娘が、アクセルを呷って冷えたエンジンを温めている。
白い排気を残してどこかへ行ってしまった。
妻も下の娘を連れて車でどこかへ出かける様子。

ひとり家に残されたが、どの部屋の暖房も電灯も付けっ放し。
無性に腹が立ってきた。家中の暖房と照明を消して廻った。

目出帽に半天、マフラーに手袋。部屋の片隅に固まった。


「なに機嫌悪うしてるの。変な人」
「おとうさん、変やわ」
「何してんの、そんなところで」

同じ時間に三人が帰ってきた。
部屋が明るくなり、暖かくなった。

「お前たちは、無駄な買い物をしたり、
電気やガスを必要以上に使ったり、
それが当たり前と思っているのか!」

イルカの「なごり雪」のリメイクに耳を塞いだ。

「そのテレビの音消しなさい!」

「はい、はい」



(ちゃぺる 6-4) チェーン    1月2日(火)


国道から伝道所へ向かう山道の路肩に車を寄せ、
手探りでチェーンを装着する。夕礼拝は午後七時三十分。

最後の讃美歌に、三歳の娘の目が輝く。
オルガンを弾く妻に背中を強くもたれさせ、
「おうちに帰るの」と、小さな口を妻の耳元へ運ぶ。

老いた二組の夫婦に東京から赴任してきた若い小学校の女性教師が
その夜の礼拝出席者の全てである。
お茶の時間を楽しみ、薪ストーブの火を落として外へ出ると吹雪になっていた。

凍てついた雪道に「しゃんしゃん」とチェーンの音が響く。
車内は「ゴトゴト」。サスペンションが故障したような音。
まるで荷馬車に乗っているよう。

夕拝の帰りのいつものこと。
対向する車は、数台あるかないか。
国道へ十キロほどの山道。

鉄道に並行した道がある。
人が道路の真ん中に寝ていた。
横滑りを逆ハンドルで調整し、停止。

一升瓶を片手に雪まみれの男が喚く。

『越後つついし親不知』のポスターが目に浮かんだ。



(ちゃぺる 6-5 )  シュール   月30日(金)


独居老人のようなテレビの前の一日。曇天なり。

雨乞いの親分が、裏切った子分たちを皆殺しにする。
鬼平犯科帳のラストだ。
雨乞いの親分役は、田村高廣。

渕田美津夫大佐と食事を共にしたことがある。
初対面の挨拶の後、二言三言、言葉を交わしたが、
田村高廣との区別が付かなかった。

トラ トラ トラ
ワレ奇襲ニ成功セリ

それにしても、忌々しい曇り空なり。
雨乞いの親分のシュールに苛立った。

パタ パタ パタ

編隊を組んだヘリコプターが二機近づいて来る。
爆音を撒き散らして何処かへ消えてしまった。

風邪で寝込んだ十歳頃の記憶が戻って来た。
その日、家には誰もいなかった。
柱時計と自分の心臓の音が、耳を塞ぎたくなるほどの大音響。

間違い電話を掛けてしまった。
気分の悪い奴が出た。

外出した妻の帰りが遅い。



(ちゃぺる 6-6) ロータリー  3月7日(日)


小さな温泉町の老人ホームを訪問する機会があった。
JRの駅を目印に車を走らせた。

駅前にロータリーがあったが、余りに小さいので面白半分に
二周してみた。中央は半径2メール位の芝生になっていた。

もう一周してみようと思った。

仕事の成果が感じられない毎日だった。
山間の小さな教会に赴任して二年目の春だ。

永遠にロータリーを回り続ける恐怖を感じた。
余りにも小さなロータリーを。

作業着服の男がふたり、ロータリーの中央で喧嘩を始めた。
互いに人を殴るということに不慣れと見えて腰が引けている。

男たちの年齢は五十歳前後。
何とも惨めで情けない光景だ。

三周目を走ることはなかった。

ロータリーの出来事が、
心の葛藤を寸劇に仕立てたかのようだったから。

♪はるばる来たぜ 長寿園
   逆巻く波を 乗り越えて 

慰問のステージは、絶好調だった。



(ちゃぺる 6-7)  くぐもり声  3月21(日)


「よっぽど悔しかったのやな」

包帯を巻いた私の右手に目を遣りながら、
勝ち誇ったように分区長が顎鬚を撫でた。

臨月の妻に代わって台所に立った。
洗い物のガラスのコップが手の中で砕けた。

「キシモト君、君にはもう一ヶ所掛け持ち遣ってもらうわ。
新谷君を東京の教会に赴任させにゃならんからな」

牧師の世界でも人事に関しては嫌なことがある。
分区長とは平素から折り合いが悪い。

人を動かすことに快を憶える人がいる。
それに取り入る人がいる。

風采の上がらない新谷先輩が、
サロンのような教会を希望していたとは思いもよらなかった。

パイプオルガンが鳴り響く大聖堂に、
あのくぐもり声が通用すると思っている。
随分な自信だ。小さな田舎の教会を呪うように去って行った。

「パイ焼いて来たんやけど、食べるか」
二周りも年長の分区長にそんな口を利く私。

「キシモト君、あいつ礼も言わんと行って仕舞いよってな。
東京で上手いこと行かんのワシのせいにしとるらしいわ」



(ちゃぺる 6-8 ) フランシーヌ   3月30(火)


「キシモトさん、何とか言うて。
この人、わたしに隠れて盗み酒ばっかし」

「おとうちゃんな、真夜中にな、
プシューちゅうて、缶ビール開けたはるねん」

「こどもまで言うてますやろ。
ほんまに、ムカシの友達やったら言うたってください」

小五の娘に二十歳年下の若い妻。
大江健三郎が食卓の隅で小さくなっている。
にやにやしている。

3月30日。
1969年のこの日は、日曜日だった。

三十年も弦を張り替えていない健三郎君のギターで
『フランシーヌの場合』を歌った。

「キシモト君、『場合』は、『ばわい』じゃなくて、
『ばあい』と発音するほうが柔らかいで」

「ほんまやな」

「キシモトさん!
うちの主人の盗み酒、注意して欲しいんですけど!」

♪フランシーヌの場合は あまりにも お馬鹿さん
♪本当のことを 言ったら お利巧になれない



(ちゃぺる 6-9) もう一回     4月23日(木)


止せば良いのにとは思ったが、兼持牧師に絡んだ。
予餞会の席で、ひよこ牧師たちに贈った言葉が癇に障った。

兼持先輩は、『カネモチ牧師』と呼ばれている。
資産家の妻のおかげで暮らし向きが実に結構なのである。
カネモチ牧師の趣味は、 『人事』である。

清貧に甘んじて、祈りに生きれば必ず報われると、
新しい任地に赴くひよこたちをいつものように激励した。

兼持牧師の前に座って、横着な態度で酌をした。
「兼持さん。良い餞のことばですね。いつ聞いても」
露骨に嫌な顔をされたが、構うことなく続けた。

「近頃の若いモンに貧乏なんか出来まへんで、センセ。
無茶言うたらあきまへんで、兼持さん」

「ボクな、もう引退しようと思うとるねん。キシモト君。
妻と二人でな、有料老人ホームへ入居決めたんや」

「それ、なんぼぐらいしますねん。兼持さん」

「二人で、八千万かな」

「もう一回、その金額言うてくれますか」

「八千万や。生活費は別やで、キシモト君」

「もう一回、、、もう一回、言うてくれますか」



(ちゃぺる 6-10) 素 手 で     5月4日(火)


班長さんが号令を掛けた。

「昼メシにしようか」

夜の十二時である。夜勤の世界とはそのようなものと馴れて来たある日、
華奢で小柄な三十代半ばの男がラインに組み込まれた。名前を須川と言った。

昼食の時間、新参の須川さんに挨拶が求められた。

「ワシはな、体が小んまいやろ。それにド近眼や。
そやから喧嘩の時な、素手でやったことあらへん。
なんでもそこらにあるもん手ぇに持つんや。煉瓦のかけらとかな」

三十年経っても須川さんの言った言葉を一字一句覚えている。

「元気出さんかいな。シャバは天国やで」

夜勤の仕事は精神を混乱させる。
閉所恐怖症にも似た圧迫感に苛まれる。
須川さんは、そんな言い様で、時折パニックになる私を励ました。

ある日、須川さんが着流しの大島姿で職場に現れた。
同棲している女性の弟と一緒だった。

「素手で喧嘩したらあかんで。キシモっちゃん」

日割り計算の給料を懐に入れた手をそのままに、
チャリチャリと雪駄の音を響かせて歩く須川さんを門衛所まで送って行った。





(ちゃぺる 6-11) ゴモクヒロシ  5月12日(水)


梅田さんは、バスの清掃を一人で請け負っている。
深夜から明け方にかけての汚れ仕事だ。

「ゴモクヒロシ、いったろか」

五木ひろしの物真似が始まった。
呂律が回っていない。客は、眉を顰めた。

『スナック幸子』のママは教え子の母親である。
生さぬ仲の息子が私になついている。
土曜の夜のカウンター席が、家庭訪問。

「ゴモクヒロシ、よう似てたやろ」

市バスの運転手をしていたママの夫と清掃業者の梅田さんとは顔見知りだったらしい。

「おとうちゃん死んでもう五年になるなあ。
それに、ボクちゃんも中学一年生かいな」

酒の飲み方が滅茶苦茶。夕方から日付が変わるまでひたすら飲む。
ママの作る当てを褒めて眺めて一口も箸をつけない。

「センセ、わしな、幸子はんと温泉行って来たんやで」

「また嘘言うて、帰ってもらうわよ」

梅田さんは、いつも私を隣に招いて話しかける。
梅田さんは、母親とふたりで暮らしているらしい。





(ちゃぺる 6-12) ザイアス博士  月21日(金)


『猿の惑星』に出てくるザイアス博士。
そんな失礼な連想を許してもらえそうな森先生の風貌。

遠い存在だった。
勘違いで履修した憲法概説。
この四単位に泣いた。

赴任した小さな教会の控えめなベンチに、森山教授を見た。
『鬼のモリ』は、クリスチャンだった。大教室から七年の歳月が流れていた。

未熟な若い牧師の説教に、功徳を授かるような面持ちで聞き入り、

礼拝後のうどんを楽しまれた。
任地が変わり、二十年近く音信不通だった。

息子さんの結婚式を依頼された。
会場は教会以外の場所。余興には私の演芸を是非にと。

「わたしたちは、いわれなき苦しみの中にある人たちと
生活をともにすることを、わたしたちの結婚の約束とします」

息子さんが難病の花嫁と声を合わせて誓いを読み上げた。
新婦側の親族は二十人ほど、新郎側は森先生ひとりだけ。

末の娘がたどたどしく足踏みオルガンを弾いた。
長女が会場をそれらしく飾りつけた。

『夫婦春秋』のピン芸に、森先生、学者らしい手拍子。
月がかわらずして、森先生、相次いで花嫁の母親が急逝した。





(ちゃぺる 6-14)  買い食い    5月22日(土)


こどもの買い食いを町中が監視していた。

一握りの裕福な家庭では、躾の問題として。
貧しい家庭においては、恥の問題として。

「キシモトさん、おうちの息子さんな。
そろばん塾の帰り、コロッケ買い食いしてはったわ」

常軌を逸した母の叱責を受けた。
言いつけた近所の婦人とは犬猿の仲だった。
詫びても許してもらえなかった。

一人暮らしの母から真夜中に電話が掛かるようになった。

「今日は何曜日やったかいのう。
年金の振込み郵便局行って確かめて来てくれんかいね。
玄関に置いておいた杖な、コソドロが盗んだやなかろうかね」

デイ・サービスに母を通わせた。
母は、水を得た魚になった。

「ゆで卵をお持ちになって皆さんに配っておられましたので、
心苦しくは思いましたが、ご注意させていただきました」

指導員先生の一言が通い帳に添えてあった。
あの時の母と同じ苛立が、心の底から湧き上がって来た。

「申し訳ございません。分かるように言って聞かせます」
通い帳に添えた。





(ちゃぺる 6-13 ) 剣 菱     月9日(水)


隣町の山田牧師から呼び出しがあった。
教会員の婦人が行方不明になってしまったとのこと。

山に入って行く消防団の後を追った。
明け方から姿が見当たらないらしい。

「ボクらが最初に発見しましょう。キシモト先生!」
山田牧師が祈り始めた。

「山田さん。そんなお祈り駄目ですよ。
もし、ボクらが見つけたら天狗になりますよ」

怒号が飛び交った。

「あれや、あれ。よう見てみい。髪の毛が見えるやろ」
「ほんまや、早よう、もっと人呼んで来んかい!」

古井戸を覗き込んだ。
山田牧師が取り乱した。

消防団や地元の人間ではないひとりの男が、
ロープを襷にかけて井戸の底へ降りて行った。

婦人を背負った男を皆で引き上げた。
男の頬には刃物の傷跡があった。

「ワシは、剣菱がええな。酒ちゅうたらそれしか飲まんのや」

最近、山田さんの村に流れ着いた訳ありの人らしい。





(ちゃぺる 6-14) 梔 子   7月3日(土)


小学校に上がる前の二年間を大学の構内で暮らした。
鉄筋の研究棟と官舎は森に覆われていた。
阪急電車の駅へ徒歩五分の別世界だった。

蝉が鳴いた。
キリギリスが鳴いた。
町の誰よりも早く季節を知った。

保育園や幼稚園には行かなかった。
見て感じることだけが日常の全てだった。

梔子の白い花が雨に打たれて濡れている。
エロティックな香りだ。

世界が脇の下の湿気に包まれている。

普通の家のこどもだったら、
その匂いに嫌悪を感じただろう。

鉛筆の先で突いた点のような小さな虫が蠢く白い花に、
いつまでも、いつまでも、ため息をついた。

「明日、お父様のお見舞いに行きましょうね」

背後に母の声を聞いた、



(ちゃぺる 6-13) 無 人 島    月17日(土)


帰省している大学生を助手に仕立て、
釣り道具を持って離れ小島へ高校生を連れて行く。

「イエスの指し示すもの ― 無人島での思索」

実体は、子供の夜更かしと、牧師仲間の夜釣りに終始した。

このキャンプは大人禁制を貫いた。教会の役員さんが同行することなど論外の論外。
高校生も呆れるほど若い牧師も年寄りの牧師も大いに羽目を外した。
高校生も牧師も疲れ果てていた。校内暴力が連日新聞紙面を飾った頃である。


「センセ、わたしも連れて行ってください。
若い頃、Yで高校生のキャンプ指導したんですよ」

大岩夫人が五月蝿く連れて行けとせがんだ。

「あなた! 素麺は、ばらばらにして鍋に入れるのよ。
キミ! カレーは、じっくり玉葱から炒めるのよ」

六時起床、午前、聖書研究、午後、小クラス討論会。
夜十時の消灯。お体裁で作ったプログラムは全て実行された。

「君が連れて来たのか、あのご婦人を」
分区長の平素の柔和が偽善であることを知った。

「君には、ボクの夏休み貸しやな。
埋め合わせ必ずしてもらうで」





(ちゃぺる 6-14 ) 寄 生 虫     7月23(金)


「キシモト先生、お早うございます。
聖書研究会のメンバー揃えておきました」

谷内先生は、私の訪問日を心待ちにしてくださる。

「昔、牧師さんしてはったそうやてな。
そやけど、ホームでは特別扱いはでけせんから、谷内さんや」

尤もな園長の口調には、谷内先生への蔑みが感じられた。

駆け出しの牧師に給仕のような気配り。
職員や入居者には領主に仕える召使のような甲斐甲斐しさ。
兎に角、腰が低い。

「私は、あの時代に娘をひとり死なせています。
教会の裏庭で作った野菜に寄生虫がいましてね」

末期の吐息のようなか細い声が、
不具合な入れ歯の噛み合わせの音にかき消される。

カチカチ、カチカチ、カチカチ。

受付の前をひとりの男が足早に通り過ぎた。
谷内先生の面会人らしい。
職員への挨拶がない。

裏口で谷内先生から封筒を受け取っていた。

二度目の奥さんの連れ子さんらしい。



(ちゃぺる 6-15 ) ばばつかみ     8月10(火)


ばばつかみ     


「お母ちゃん殺してオレも死のう思うてんねん」
工場の騒音にかき消されそうな孝行息子の電話。

納品先の若い学校職員の応対に業者の悲哀を覚えたと言う。
母親の昼食を作りながら子機を肩に挟んでいる。

三十年ぶりに、幼稚園の教え子から電話があった。
「センセ、もう死のう思うてます。
病気いつ治るか分からへんのです」
ベッドのカーテンを閉じて携帯から掛けている。
すすり泣いている。

同い年の主治医は、溌剌とした長身の美人。
三十を過ぎて入退院を繰り返すだけの人生が侘しいと言う。

母を墓参りに連れて行った。
用意に手間取りなかなか出発できない。
古い岩波の文庫本を玄関先で読んだ。

ヨーロッパの農民の間に伝承されて来た風習で、
刈り入れの最後に一束分を残し、それを『ばあさん』と擬人化する件。
それが吉をもたらすのか凶をもたらすのか文脈を手繰っているうちに母の用意が出来た。

『ばばつかみ』

そんなところかな。
そんなものだろうか。





(ちゃぺる 6-16)  御  萩    8月1(日)


「あなた、手伝って下さらない。
とても間に合わなくてよ」

三山夫人が書斎に向かって大声を張り上げる。
永眠者記念礼拝後のお茶会は夫人手作りの御萩。
山のような小豆餡が大皿に盛られている。

「ボクは、説教の準備中だよ。
そんなことに構っちゃいられねえってんだよう」

とは言ったものの、サンキュー先生こと三山九郎牧師は、
夫人の指示どおり餡子を小さな塊に分け始めた。
永遠の時が過ぎるような長く単調な作業だった。

「あなた、明日は皆さんを驚かせるんですからね。
三百個も作れば、あの天狗の花高夫人の鼻を明かせるワ」

翌朝のサンキュー牧師の説教は、
御萩作りと花高夫人への愚痴をさんざん聞かされた疲れで支離滅裂だった。

酷い説教だった。

「神の愛が会衆一同の上に・・・あらんことを!」
決め台詞だ。最後の祝福の祈りだ。これで何とかなる。

愛を御愛、つまり『おんあい』と重みを付けてみた。
説教のしくじりを取り戻そうと肩に力が入った。

「神の・・・おっ、おっ、おっ・・・おん、あっ、餡!」





(ちゃぺる 0133 )  任せたよ      8月14(土)


大きな港町の向かいに大島という小さな島がある。
教会学校キャンプの指導員として、ひと夏、その島に住んだ。

牧師が渡し舟に乗って監督には来たが、管理意識の強い人ではなかったので、
「任せたよ」の一言ですぐ帰ってしまう。

気ままな時間を過ごした。

帰省している大学生たちと焚き火を囲んだ。
真っ暗な沖にボートを漕ぎ出して夜釣りを楽しんだ。
夜光虫がオーロラのように漂う海に潜った。

「センセ、裸で泳いでもよかね」
色白の女子大生が水着を浜辺に投げ捨てた。

「その火を跳び越えて来い」
『潮騒』の世界だ。

紛争の時代だったから、大学から遠く離れた所にいても、
そんな緊張から解放されなかった。

昔の友人たちとホームシアターを楽しんだ。
応接間の壁一杯に、『イージー・ライダー』が映し出される。

キャプテン・アメリカとビリー、ヒッピーの女の子二人が
裸で泳いでいる。

服を着て三十年が過ぎた。





  歌 謡 学 院

(歌謡学院 6-1 ) カタジケナイ   1月14日(水)


「おらが、温めてやっただ」

冷たい海で遭難してやな、浜に打ち上げられた若い男前の
サムライ、葵新吾様みたいな若者にな、網元の娘が、
明け方に、そんなこと言いよるねん。

もちろん、その男前のサムライは、ボクのことやで。

その男前が、「カタジケナイ」ちゅなこと言うてからに、
娘の頬が、「ぽっ」ちゅうて熱りよるねんで。

ええじゃろ。羨ましかとやろね。

キツーイ寒気で目ぇさめた。
はやりのインフルエンザみたいや。

「風邪ひいたみたいや。えらい寒いねん」

「それで何?
そんなんゆーても、仕事あるやん。
早よ、起きてんか」

「いや、その、、、寒い、ちゅうてんねんけど
カタジケナイ、ちゅうか、なんちゅうか。
その、、、おらが温めてやっただ、ちゅうか」

「目ぇさめてへんのやな。
これで、どうや!」

水仕事の手ぇで、首筋、思いっきり、『温めて』もろうたで。



(歌謡学院 6-2 ) 正一合   3月31日(木)


久しぶりにヨメはんと一緒にスーパー行った。

このごろのスーパーちゅうたらな、
リカー・コーナーてなこと言うてやな、
要するに、酒も売っとるんねん。

『ワンカップ横綱』

アルコール切れたらややこしい人、好きやねんコレ。
何ちゅうか、あのコップ酒の感触がエエねんやろね。
うちの兄貴が毎朝、コレ目当に近所の自販機へ通うとったわ。

リカー・コーナーは、レジの直ぐそばにあるねん。
ちょっと多めの一・五倍って書いてあるワンカップ目ぇ引いた。
そんなん見るとついつい授業しとうなるのがボク。

「なんでコレが一・五倍になったかちゅうとやな、
バブル経済が終わって久しい今日この頃、
正一合ちゅう化石みたいな言葉の記憶を手繰りながら、
正直者が自らの精神、
つまり、スピリットの目減りがないことの数的確認が一・五ちゅう数字になると言うことなんや」

レジのおばちゃん手ぇ止めとる。
何ちゅうても、言うことがカシコイもんな、ボクって。

「奥さん、ご主人さん手ぇに持ったはるワンカップ
買わはるの、買わはらへんの、どっち」

手ぇ震えるワ。





(歌謡学院 6-3) 逃 亡 者    6月8日(火)


最近、ヒゲが白髪になってきよった。
ヨメはんの白髪染め黙って使うたら、これエエ感じ。

鏡の前でヒゲ染めとったら、思い出したわ。
そやんか、そやんか。これはやな、
リチャード・キンブル。

『逃亡者』や。

南部の田舎町のドライブインのシケタ洗面所なんかで、
毛ぇ染めよるやろ。キンブルが。
追いかけ回されて可哀そうやったな。

ジエラート。それは、イタリアのアイスクリーム。
ちゃう、ジエラード警部や。こいつがヒツコイ。

「いえ、ボ、ボクは・・・」

バスの切符売りのおばはんに見破られそうになったりするねんけど。
ちょっと動揺してからに、インテリな口調で、そんなセリフ言うてからに、
目ぇ伏せよるねん。

堪らんね。逃げてる奴ちゅうのは。
めちゃ、同情するわ。

「アンタ! わたしからは、逃げられへんで」

「いえ、ボ、ボクは・・・」



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