ボクらの滑(ぬめ)り跡
創刊号 11〜20話
−すべてそうさくしたおはなしです−
No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話 61〜66話)
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話)
No.4 歳末特集号(1〜10話)
No.5 冬号(1〜10話)
No.6 夏号(1〜15話)
No.7 続1(1〜12話)
No.8 続2(1〜7話)
No.9 続3(1〜8話)
(ちゃぺる 1−11) 男前の先生 6月4日(水)
整った顔立ちの先生が礼拝のお話しに来られました。
その先生は、髭の剃り後も蒼々と色白で背も高く、
ギリシャ彫刻の生き写しのような男前でした。
ただひとつの違和感は、頭髪が随分後退していることでした。
つまり、若禿げだったのです。
先生は、話の入口で、お人形のように可愛い娘が二人いると仰いました。
それも非常に具体的に。大きな瞳が真っ黒、白目の部分が薄いブルー、
寒い国の湖のように透き通っている、というような具合です。
そして、娘さんたちの髪の毛は、白雪姫のお話しそのままに、
闇夜のように真っ黒でふさふさしていると。
男子校の生徒はそういう時、どう反応して良いか分かりません。
禿げ頭の人から髪の毛がふさふさの娘さん?
そうか、そりゃ別におかしい事じゃない。とても可愛って?
そうか、よく考えれば女の子は父親に似るというから
こんな彫の深い男前の先生のお嬢ちゃんだったらそりゃ可愛いに決まっとる。
ということは、この先生に、『ハゲアタマの先生』と言うような失礼な態度をとってはいけない。
そんなことを私だけではなく周りの皆が感じ始めました。
究めつけは先生のお嬢ちゃんと結婚する事まで考えた者もいたぐらいです。
「うちの可愛い娘たちがつぶらな瞳で私を見つめて、
人間は死ぬの? おとうちゃまも死ぬの? と聞かれて、
わ、わ、わ、わたくしは・・・」と、絶句。
先生は、講壇の上でさめざめと泣き始められました。
― 鉄砲光三郎氏一周忌に寄せて ―
(歌謡学院 1−11) 河 内 音 頭 6月7日(土)
兄が三人いるらしい。末っ子が今のヨメ。
昔見たテレビの西部劇ドラマ、バークレー牧場みたいな家族構成や。
「オードラお嬢さま!」、コロニアル風の館の一人娘を使用人たちがそう呼んどったな。
ボクは気乗りのしないまま湊町から関西線に乗った。
途中に、八尾駅があったので、そうか河内から大和へ向かっとるのかと車窓の景色を
見ながら河内音頭の一節を唸った。それも映画、悪名市場の中で勝新が唄うたとおりにや。
(大映1963年4月28日)
あの紅葉で有名な竜田川に沿って歩いて行くと砦みたいな家が見えてきよった。
大きな犬が門のところで吼えて、
「ワレ、どこのもんじゃい」、
「兄貴が聞いとるんじゃ、返事せんかい!」と兄たちに畳み掛けられたけど、
ボクはどんと構えて、四方の山々を見渡した。
玄関に太鼓が見えたので、「あきこ! 景気よう叩いてくれい!」と
怒鳴った。あきえが撥を掴んで渾身の一振り。低い唸りをあげて太鼓が、
「どぉーん どぉーん」、「カッ カッ カッ カッ、、、」
「♪えー、大和河内の国境、生駒、葛城、信貴、二上・・・」
ボクは、汽車の中で何度も何度も繰った河内音頭を上半身裸になって詠んだ。
「・・・よーお ほーい ほい ♪」、
「えんやこらせー、どっこいせー」
「よう来たのワレ、こんな出来の悪い、根性の曲がった妹、
よう貰うたる言うてくれの。上がっていかんかい。
そうか、よう来たのワーレー」
(ちゃぺる 1−12) 高 原 先 生 6月7日(土)
小学生の頃住んでいた町の眼科医、高原先生を町の人みんなが
大変尊敬していました。
高原先生の息子さんは、涎を垂らして一日中町を徘徊されていました。
しかし、先生は、その成人した息子さんが『しょうがい』を持っておられることを
隠すということをされませんでした。
夏の暑い日も、冬の寒い日も、息子さんは、「ふうん、ふうん」と苦しそうな息を
しながら苦痛に顔をゆがめ、両の拳骨を胸に押し当て、足を引きずりながら
ひたすら夜明けから日没まで、町中を歩き回られました。
その姿を私はいつもじっと見つめていました。
惹きつけられていました。
町の人たちも同様でした。
『無関心を装う』という偽善を寄せ付けない尊厳がそこに存在していたからに
相違ありません。
高原先生に、目に入った異物を取り除いてもらったことを覚えています。
駅に入ってきた電車が、ブレーキを掛けた時に巻き上げた鉄粉です。
(歌謡学院 1−12) コロは六月 6月8日(日)
六月しか出来ん話があるねん。
関東煮、かんとだき、つまり、おでんのハナシや、文字通りネタやね。
「おっちゃん、東の方角はどっちや。お日いさんの昇ってくるほうや。
なに、こっちやてか、わかった、わかった、ありがとう」
客が、東向いて食べ始めよった。
怪訝な顔しとる隣のモンにその訳聞かれて。
「おでんの東!」
分からん人はええ、ええんや。義務教育やないからね。
同じようなことやけど、関東煮のタネに、『コロ』ちゅうのあるねんけど、
知ってる? 鯨の分厚い皮下脂肪を乾燥させたやっちゃ。
「このコロやけど、おっちゃん、いつ食うたらええの?」
さっきの客が聞きよった。
おっちゃんは、お里、沢市の『壺坂霊験記』をひと唸り。
「コロは六月ぅぅぅ、中のコロ、夏とは言えどぉぉぉ、片田舎あぁぁぁ〜〜〜、
六月や、六月でおます」
分かってもらわんでもええのや。
壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)
(ちゃぺる・13) 釜 ケ 崎 人 情 6月8日(日)
大久保怜先生が審査委員長をしていた頃の日曜午後のテレビ番組、
『素人名人会』は楽しかったですね。
名人が出揃ったところで飛び入りの時間があります。記念品をもらった後、
「みなさま、コマーシャルです」と一言最後に言わせてもらえるあの趣向です。
年配の上品な奥さんが舞台に上がりました。「何処から来やはりましたか」と
聞かれて、「芦屋から参りました」と答えたので・・・
司会者が大袈裟に、「やっぱり! どっか違うと思うてましたわ」
バンド「五目飯」が受け取った譜面は、『釜ケ崎人情』
♪ たちんぼ人生 味なもの 通天閣さえ 立ちんぼさ
♪ だれに遠慮が いるじゃなし じんわり待って でなおそう
♪ ここは天国 ここは天国 釜が崎
(詞:もず唱平 曲:三山 敏
唄:三音英次 一九六八年三月)
この奥さんの天真爛漫、この歌詞が切々と訴える『社会の実相』
そのコントラストは、決して誰かを苛立たせたりするようなもの
でなかったことを記憶しています。
(歌謡学院 1−13)
キャロラインは優しいのう 6月10日(火)
「キャロラインは優しいのう。優しいヨメや。ほんま・・・」
『大草原の小さな家』を見ながら独り言や。
「なんやて! あんた! あんたにはな、
毎日やさしゅうしたってるやないの!」
「何ぃ! したってるっ? そのものの言いようはなんや!
見てみい、チャールズがやな、ヨメやこどものために出来ん我慢して、
農民の誇り傷つけられてもや、ひたすら耐えとるのをキャロラインが
チャールズの髪の毛を両手でナデナデしながら、慰めとるやないか、
ワシもいっぺんでええからそんなして欲しいちゅうとんのじゃ」
「このオルソン夫人!」
「何ぬかす、このアンケラソウ!」
訳の分からん夫婦喧嘩。お互いに相当疲れとるちゅうことやね。
(注) アンケラソウ 関西落語によく出てくる罵りことば。
かやつり草科の多年草の茎で編んだ筵(むしろ)、
アンペラから派生したものと思われる。表面は滑らかだが堅い。
(ちゃぺる 1−14) 鮎 は サカナ ? 6月10日(火)
季節のお菓子というものがあります。
この時期ですと、『鮎』ですね。
神戸元町へ遊びに行った時、和菓子屋さんの店先で、ガラスの仕切り越しに職人さんが、
この『鮎』を作っていました。
ふんわりした卵たっぷりの小麦粉生地を、銅板の上で薄く延ばし、細長い楕円に焼きます。
その中に羽二重餅を包み込み、焼き鏝で目や鰭を描いて出来上がり。
飽くことなく何匹も焼き上がっていくのを眺めてしまいます。
職人さんは、黙々と手際よく焼き続けます。
その沈黙が心地良いのです。良いのですが。
何か言わなければとふと思い・・・・・
「よくぞ、清流で遊ぶ鮎を風雅なお菓子に仕立てたものだ」と、
感心しての一言。
「アーユーはサカナ?」
(歌謡学院 1−14) カメレオン 6月12日(木)
「♪伊豆の山々〜」
鼻歌まじりに湯船の中で機嫌よう髭を剃っとったら洗面器が手元にないのん
気がついたんやわ。手ぇ伸ばしても届かんとこにあるちゅう訳や。
困ったのう。
無用で暇の多い生活をしとる人間はこうゆう時こそ、
その実力を発揮するちゅうもんやで。
高橋英樹が主演してたテレビの『遠山の金さん』思い出した。
昼間の再放送なんかよう見てとるけんね。
高橋英樹の金さんはな、手拭を火消し桶の中かなんかに浸して、
インディー・ジョーンズのムチみたいな武器にして悪い奴を叩き
のめっしよるんや。
そらもう、自由自在や。
ボクは、頭に載せていたタオルを湯に浸し、
カメレオンが虫取るみたいに・・・・・
洗面器を狙ろうた。
(ちゃぺる 1−15) ヤッサン 6月14日(土)
その名は『ヤッサン』ですが、誰もその姿を見たことはありません。
それでも、時折、「あ、ヤッサンや!」とか「ヤッサンが来た!」
とか言う声は確かに聞いたことがあるのです。
「ヤッサンやぁまのぉぼってぇ〜」と、誰かに釣られて良い加減な一節を唄ったような気もします。
町の外れに、練兵場跡がありました。
男の子たちの格好の遊び場でした。
ある日、ボクたちが相撲をして遊んでいると見かけない人が割り込んで来て、
ひとりひとりに勝負を仕掛けてきました。
それが余りの突然な事と、この人の遊びを超えた手加減の無さに
ボクたちは、段々薄気味悪くなってきました。
一通り遊んだその人は、ポケットから分厚い百円札の束を引っ張り出し、
ボクたちひとりひとりに配り始めました。
その時、誰かが・・・
「ヤッサンや!」と叫びました。
蜘蛛の子を散らすように、あっという間も無く
みんないなくなりました。
エトランジェの受容には、まだまだ時間の必要なボクたちでした。
(歌謡学院 1−15) マ サ や ん 6月13日(金)
屁理屈ばかり捏ねとるボクらの文芸倶楽部を母親のような目で見守ってくれる
女の子がおってね。
真佐木たゐ子ちゅう名前のコやったけど、
みんな、『マサやん』と呼んどりました。
ある日、マサやんとデートして法善寺横町へ行ったのよ。
水掛不動さんに、ボクが藤島桓夫真似して、「親方はんに許してもろうて、
早うマサやんと一緒になれますように」ちゅうて、手合わして拝んだら、
「ドあほ!」ちゅうて、後頭部おもいきり、どつっきょりますねん。
夫婦ぜんさいをボクの分まで食べたマサやんと高島屋あたりまで歩いて、
交差点で話し込んでたら、歩道ぎりぎりに寄って来よったトラックが前輪で
マサやんの足を轢きよった。
「マサやん! 危ない!」
「え、なに? キシモトくん、なんかあったん?」
白いパンプスにくっきりタイヤの跡。
そやけど、マサやんに変化なし。
ボクと違うて精神も肉体も頑丈な女なんや。
(ちゃぺる 1−16) カ ッ パ 6月16日(月)
雨に打たれた梔子のむっとする白い花の香りが、
憂鬱な思い出を誘い出します。
小学五年生の梅雨の時期、近所の見通しの悪い踏み切りで、
こどもが電車に轢かれました。目を覆うような光景でした。
遺体収容の白い幕が近くの空き地に張られました。
空き地の無花果の葉が青々としていたのを覚えています。
そのことがあって数日後、近所の中学生が制帽の徽章に落雷を受け死亡するということがありました。
畦道を歩いていての事故だったそうです。
小学生時代、梅雨から夏休みにかけて、このようことを見聞きしない日はありませんでした。
つまり、こどもが、『よく』死にました。
とりわけ、コガタアカイエカが媒介する日本脳炎の脅威には誰もが震え上がりました。
町内でもひとり死にました。
そんな夏も終わりの頃
遊び仲間の弟が、川で溺れて死にました。
小学二年生でした。
遊び仲間のあだ名は、『カッパ』と言うのですが、
小さな柩を見てからというもの、
誰も彼をあだ名で呼ぶ事はなくなりました。
(歌謡学院 1−16) マサやんのツレ 6月14日(土)
マサやんの話をもうひとつしてみようかな。
マサやんには、仲のええ二人の友達がおるんや。大阪のある女子校の中学時代
からのツレや。
『マサやん』、『ごんぼ』、『おちょこ』、陸上部の三人組ちゅうわけや。
マサやんは、中距離専門や。ごんぼ(牛蒡)は、色黒で痩せてて背が高いから
見たままの呼び名や。槍投げやっとった。マサイの戦士みたいな雰囲気や。
おちょこは、へんな渾名やけどヨシモトの烏川みたいな感じのコでごっつい
雰囲気と口元のすぼまった感じのアンバランスが呼び名になったちゅうわけや。
おちょこは、砲丸投げや。
ミナミは自分の庭や言うて、マサやんはいつものように原付を機嫌よう乗っとった
んやけど、黒い大きな車のドアが急に開いてそこに思いっきりぶつかってしまいよった。
もちろん、マサやんに怪我はなかったで。
そんなんあるワケないやろ。
中から強面の人降りて来よってな、近くの喫茶店で話つけよちゅうことになったんや。
マサやんは、「ちょっと電話させて、おっちゃん!」
槍を持ったごんぼ、砲丸を抱えたおちょこが、数分で喫茶店に入って
来よったらしいわ。
嘘やてか? そんなこともないんやで、ミナミちゅうとこは、実際。
(ちゃぺる 1−17) とんがりコーン 6月17日(火)
スーパーのレジに並んでいたら、急に私の前に一人の青年が現われて、
「とんがりコーン見た?」と緊迫した様子で話し掛けてきました。
青年は、『とんがりコーン』という言葉の響きを楽しんでいる様子に見えました。
と同時に、それが彼の視野の中にない不安が顔にありありと表われています。
周りにいた客は距離を置き始めましたが、
私は、「うん、とんがりコーン見たよ」と即答しました。
「ほんま、おっちゃん、ほんま、とんがりコーン見たん。
ほんま、良かったあ」
心地よい音の響きを持つお気に入りのものを常に自分の視野の中に置いておきたい、
そんな自然なことが他にあるでしょうか。
帰宅したら妻が台所にいたので、
「とんがりコーン見た?」と大きな声で呼びかけました。
妻は振り返って、
「うん、見たよ。とんがりコーン見たよ」
この女性と結婚して良かったなとつくづく思いました。
この女性と結婚して良かったのかなとつくづく思いました。
(歌謡学院 1−17) 171のジョン・レノン 6月15日(日)
ボクが自由ちゅうの生まれて始めて肌で感じたんは
何ちゅうてもバイクに乗った時やった。
その頃の自動二輪の免許ちゅうたらそう難しゅうなかったわ。
地方ではメグロのスタミナ号ちゅうてOHVの500ccあたりが試験車やったけど、
大阪は門真(かどま)にある試験場は、ホンダの125ccや。免許貰うた日は嬉しかったね。
逆輸入の真っ赤なホンダのCL72のタイプT。
それが最初に乗ったバイクや。排気音とチェンジのパターンが独特なんや。
銀縁の丸めがねにロングヘヤー。
その頃ヘルメット要らんかったからね。
米軍払い下げのアーミー服着て、機嫌よ171号線を走っとったら
周りがえろう賑やかになってきよって、丁度、ボクが三角形の頂点みたいなポジションで、
裾野が二百メートルぐらいバイクの連中が続いとるんや。
「ジョン・レノンや! 171(いち・なな・いち)のジョン・レノンや!」
口々にみんな叫んどる。
ボクは知らん間にそんな存在になっとったらしい。
(ちゃぺ 1−18) ちょうちんブルマー 6月20日(金)
近くの池へ自然観察に出かけました。菱の実が水面を覆っていたことを覚えています。
最初は、大人しく水辺の生き物の観察などをしていましたが、誰かが亀や蛙を捕まえたり、
もろこやふなが群れて泳いでいるのを見つけたりし始めると、先生の制御が効かなくなり、
ふざけが過ぎたクラスの男子がひとり池に落ちました。
全身ずぶぬれです。
引率の女性教師がソイツの服を脱がせ、大柄な女の子がスカートの下にはいていた
ちょうちんブルマーを脱がせてはかせました。
ナスに割り箸を差したお盆の供え物みたいな格好になりました。
ブルマーを胸までたくし上げたソイツを腹の皮が捩れるほど、さんざん笑い者にしながら、
学校へ戻りました。
数年前、ひょんなことで当の本人に会う機会があり、昔話に花が咲いたのですが、
「あのことは思い出すな」と懇願するような目で私を見つめる彼でした。
「池に落ちた犬を叩いたらあかんのじゃ」と誰かが言ってましたね。
(歌謡学院 1−18) ヘレンを想う 6月18日(水)
アホの坂田、坂田のとっちゃんは最高やな。
この人『素』では非常に繊細で気取った人らしいねんやわ。テレビで時々、
プライベートを映されたりしとる様子から見て多分間違いないやろ。
とっちゃんの父親の名前をスラスラ言える人は続き聞いてや。(Kanematsu Jigami)
「ほんまに素になっとるな」ちゅうのが、ありありするんは、やっぱり、
ヘレンとの絡みの時や。ヘレンに「坂田くん」ちゅうて昔の話されたら、
ほんまに照れとる。
「参っちゃうネ、たまんないネ」
ヨメのツレやったオンナと短い結婚生活した後、ずうっと一人モン通しとる
古い友達おるんねんけどな、コイツどこかサカタに似とるねん。
「ともだちだからサ」ちゅうて、いっつもボクら夫婦に割り込みや。
「あの人ヘレンのこと想うてる坂田利夫みたいや。
ワタシも罪な女や」
「お前が西川きよし、ボクが坂田利夫。
それは認めようやないか。
そやけど、お前のヨメ、イボイノシシは、絶対ヘレンとは認めん!」
早よヨメもらえよ。とっちゃん!
(ちゃぺる 1−19) 隣の騾馬さん 6月21日(土)
どこからか迷い込んできたメールを見ていました。
イベント用に馬車を仕立てた所、予算不足でシェットランド・ホースなる小さい品種の馬が
馬車に繋がれていたとの事。
『ガン・スモーク』という西部劇のテレビドラマを良く見ました。
拳銃の名手の保安官が格好良かったのですが、保安官助手、岡っ引きは、
少しとぼけていました。保安官のきりっとしたウエスタンスタイルとは違って、
ヒルビリーと申しますか、間の抜けたとんがり帽子に、よれよれの服装をしています。
究めつけは、乗っている騾馬(らば)です。
騾馬は、ロバと馬の交配種です。見かけは馬と余り変わりませんが、馬とは違って
実に締まらない顔付きをしています。顕著な特徴は、その耳がロバだと言う事です。
人を小馬鹿にしたような顔付きをしています。
鯔背な保安官の横に騾馬に乗った保安官助手、何と言う上手い対比、まさにこれこそ、
『隣の騾馬さん』ではないでしょうか。
(注)ヒルビリー
アパラチアの山奥に点在する小さなコニュニティーに暮した孤高
の貧しい白人を「田舎の人」というニュアンスで用いた他称、自称、
両用のことば。
(歌謡学院 1−19) あっぱっぱ 6月21日(土)
大人の女の人ちゅうたらみんな『あっぱっぱ』着たはったね。この時期・・・・・
ワンピースみたいちゅうと聞こえええけど、あの『あっぱっぱ』ちゅう服、あの柄と言い、
生地のぺらぺら感と言い、なんとも言えん雰囲気やったわ。
『あっぱっぱ』の裾ほんのちょっとオンナのたしなみ程度に股の間に鋏みこんで、
大きな金ダライ前にして、洗濯板ごしごしやっとるおばちゃん町内でよう見かけたわ。
米噛みに膏薬貼って、シャモジ持った『あっぱっぱ』のおばちゃんが、
「このド甲斐性無し!」とか、
「仕事もせんと、酒ばっかり飲んでアホか、このドロ亀!」とか、
町内中に聞こえる声で叫んどったな。
えらい勢いやった。
つい先日のこっちゃ。
ヨメがめかし込んで出かけるところやった。
「その『あっぱっぱ』、よう似合うとるやんか」
二週間、口ききよらんかった。
(ちゃぺる 1−20) 炊いた豆 6月22日(日)
ある映画の中で、更生したやくざが義理のために無理をし、刺客に襲われ、
瀕死の目に合わされるシーンがありました。その時の一言、
「炊いた豆は、自分で食うわなあかんのや」
「してやったり!」
台本作家のほくそ笑みがスクリーンの裏に大写しです。
『蒔いた種は、刈り取らねばならない』の駄洒落ですね。やられました。悔しい。
それが映画の中盤あたりのシーンでしたので、この駄洒落はそこで終わりかなと
思っていたのですが、ラストで、「二度とやくざの道には戻りません」と古女房
に約束させて、もう一度、「炊いた豆は、自分で食うわなあかんのや」をこの俳優
に言わせます。
「それも言うんやったら、蒔いた種は、刈らなあかんと違うんかい」と
主役の男に突っ込まれて、控えていた元子分が、「おやっさん、前から注意しようと、
ずうっと思うてましてん」で『完』。
台本作家の『欲』ですね。気持ちは分かります。分かりますとも。
(注)蒔(ま)いた種は、刈り取らねばならない
聖書のニュアンスは少し違います。ガラテヤ書六章七節をご覧下さい。
(歌謡学院 1−20) バット・マスターソン 6月22日(日)
西部劇のテレビシリーズちゅうたら、けったいな設定ようけ(沢山)あったわ。
例えばや、二連式の散弾銃を短うカットしてガンベルトに差し込んだ
『拳銃無宿』、スティーブ・マックイーンや。面白もないのに、
『けんじゅう・やどなし』なんて読んで一人受けっとったヘンな奴何処にでもおったやろ。
それはそうと、もうめちゃくちゃ荒唐無稽なんが、
『バット・マスターソン』。町の住民で流れ者とは違うんや。
保安官やったかな。
ジョニー・ウオーカーのラベルの絵にあるジョンブルみたいな格好で、
ステッキちゅうか棍棒、黒塗りのバットを持っとるんや。
西部の町にそんな格好や、めちゃくちゃカブいとるやんか。
『行き過ぎモン』ちゅうか、浮きまくりなんや。
拳銃で向かって来よる悪人を棍棒で叩きのめしよるねん。
シルクハットにステッキか、よう考えたら、『悪名』の勝新が因島に渡った時に出会うた
濃ゅい二つのキャラクター合わせたようなもんやんかさいさ。
(注)身の毛も弥立つステッキの制裁でお馴染み、浪花千栄子演じる「因島の女親分」と
恍けた味わいが売り物の永田靖の「シルクハットの親分」のこと。
No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話 61〜66話)
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話)
No.4 歳末特集号(1〜10話)
No.5 冬号(1〜10話)
No.6 夏号(1〜15話)
No.7 続1(1〜12話)
No.8 続2(1〜7話)
No.9 続3(1〜8話)
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