最初のページに戻る

ボクらの滑(ぬめ)り跡
 

創刊号 31〜60話


−すべてそうさくしたおはなしです−

No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話  61〜66話) 
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話
No.4 歳末特集号(1〜10話
No.5 冬号(1〜10話
No.6 夏号(1〜15話

No.7 続1(1〜12話
No.8 続2(1〜7話

No.9 続3(1〜8話
                   




(ちゃぺる 1−31)  ジンジャーエール   7月5日(土)


ジンジャーエールを始めて飲んだのは二十才の時でした。

「ジンジャーは生姜」と言うことぐらいは知っていたので、『ひやし飴』
に近い味を想像していました。ところが、全く別物だったので免疫力が
追いつきませんでした。

スタンドに座って、カウンターの中にいるママさんに、精一杯の背伸びを
して注文したのがジンジャーエールだったのです。
コーヒーでは今ひとつだと思ったのです。
ましてや、「ホット下さい」、そんな通俗的なことを言えやしません。

友人に誘われて入った喫茶店は学生が普通行くような店とは雰囲気がかなり
違っていました。

ママさんは四十歳ぐらいで色白、長身、水色のワンピースを着ていました。
長い髪の毛を掻き揚げながら、ボクたちに話し掛けるその脇の下は自然の儘です。

フラワー・ピープルの時代でしたからね。

「ウエストコーストへ行ったみたいやろ。あのママ素敵やな」、
初心な舎弟を遊郭に案内する兄貴分気取りです。
友人には大変な借りを作ってしまいました。

「ジンジャーエールって酒?」、火照った頬を隠すボクでした。





(歌謡学院 1−31)  オクスン・フリー   2003年7月5日(土)


牛の暴走はオットロシイな。

小学校の頃や、帰り道いろんなところ寄り道するねんけど、
せまーい路地を通ったんや。
人ひとりすれ違うのがやっとちゅうような道やった。

町中やなのに牛飼うたりしてる家あるんや。

大きなまっ黒けの牛や。向こうからえらい勢いで走ってきよる。
あとからお百姓のおじいさんが、「てぇーい、待てぇーい!」、と叫んどる。

この状態を英語で、『オクスン・フリー』ちゅう。どや、教養あるやろ。

ボクらは踵を返し、必死で来た道へ戻ったけど、ドンツキで牛に追いつかれてしもうた。
えろう激しい鼻息や。

もうあかんと思うたら、なんでか知らんけど、牛が急に落着きよって、
目ぇ合うた思うたら、大と小そこらにばら撒きや。うひょー・・・・・
バック・トゥー・ザ・フューチャーの『タネン』みたいな目に会うたで。

時々、コワイ夢見てうなされることあるんや。決まって、その時な、
すぐヨコ、高枕で鼻の通り道がおかしいヨメのイビキしとんねん。

そや、あの時の牛の鼻息みたいなもんが横でしとんねん。





(ちゃぺる 1−32)  六 本 先 生     7月6日(日)




五軒長屋の端から二軒目に、六本先生のお宅がありました。

濃い髪の毛をポマードでオールバックにしておられた六本先生は、
富士額がくっきりして、お武家さまと言う感じでした。

先生は、朝一番に家の中から自転車を取り出されます。
夕方になると、またそれを家の中に仕舞われます。
スポークは、いつもピカピカでした。

その自転車には、筒状のガソリンタンクがあり、
後輪を回す小さなゴムの車のついた『原動機』が付いていました。

人力で数メートル漕いでエンジンを回し掛けると、
軽快な排気音が町内に響き渡ります。
グリップには、アクセルのレバーがありました。

「先生は今日、自転車で大阪まで行って来やはったそうや。
京都まで行かはることもあるんやて」

担任をしてもらったことがあります。
先生は、クラスの生徒に給食を先に食べるようにと仰ってから、
脱脂粉乳のミルクをせめて熱いうちにと、
ひとりひとりに注いで廻られました。

下品な替え歌を歌っているところを先生に見つかりました。
きつく叱られると身構えましたが、
穏やかに諭されただけでした。






(歌謡学院 1−32)   の つ ぼ    7月6日(日)


阪急沿線の町ちゅうとだいたい垢抜けしとるもんやけど。
ボクの住んどったトコな、駅の近くに小さな畑なんかあって、
どっか肥くさい。

ボクの家は、あんまり豊かやなかったな。
まっ、その時代はどこも似たり寄ったりの貧乏やったから、
逆にちょっと金持ち、ちゅうか、他所の家とはちがうと思うとるような子は、
滑稽なぐらい小金持ちを鼻にかけとったな。

『大草原の小さな家』に出てくる雑貨屋の娘、いじわるネリーみたいな女の子や。
そんなやつ、クラスにひとりふたりおったやろ。

「キシモトくんのかっこ、なんかボロいわ。
あっ、そうそう、キシモトくんの家ビンボーやもんな。しかたないわ」、
そんな物の言いようしよる。

だいたい、そんな子は、母親が服装こざっぱりさせとる。
白のブラウス、ひだひだの吊りスカートに刺繍つきのピンク色のカーディガン・・・
今にして思うたらめちゃくちゃ田舎臭いやんか。

新学期が始まった学校の帰り道や、こいつ調子に乗りよって、
「キシモトくんの家ビンボー」をひつこう言いながら、近道の畑や、
よそ見しながら通って行きよってな。

えらい叫び声や。

のつぼ。肥溜めに落ちよった。

あいつの臭い、四十年以上たつけど、もう取れとるやろな。





(ちゃぺる 1−33) クサイ・酸っぱい・辛い  7月7日(月)


小さな鍋に2カップ半ほどの湯を沸かし、そこに適当な野菜を入れ、
煮えたところでブラックタイガーを二匹ほど放り込んで直ぐに火を止める。

どんぶりに、ポン酢、ナンプラー(魚醤)、ラー油、ねぎを入れておき、
そこへ先ほどの野菜と海老の水炊きを注ぐ。コリアンダーがあれば言うことは無い。

なんと言う芳しい香り。

暑気払いにはこれが一番である。

二十年数年前、『アジアの農村伝道者養成』と銘打ったキャラバンの一行を
小さな村に迎えたことがある。その時、東南アジアの各国から来た学生たちに
喜んでもらおうとアドバイスしたメニューがこの『即席トムヤンクン』である。

高温多湿なこの時期、『クサイ・酸っぱい・辛い』の三拍子が揃ったアジアの味に
出会うことは、モンスーン地帯特有の嗜好の奥深さを知る至福の時でもあるのだ。





(歌謡学院 1−33)  演劇部へ行け    7月7日(月)


むかしの教育受けた人と話しとるとオモロイな。

靴屋のマルチンやないけど、教会の前はいろんな人通るわ。
ホンダのスーパーカブに乗った年寄りや。
フルフェイスのヘルメット被っとるねん。

「センセ、無茶苦茶でっせ、ちかごろの若いモン。うちの家の前、車止めて
平気でどっか行こうとしよるんで注意したら、
『悪いの分かってるわい、それがどうしたちゅうねん』、そんなこと言いよりまんねん」

喋り出したら止まらへん。

「ほんまに親の顔見たいとはこのとこでっせ。学生みたいやったけど、
あんなモンが学問してどないなりますねん。それに、なんでんねん、
このあたり歩いている、けったいなカッコの二人連れ。
ベタベタ、ベタベタ。あんなことワテらの若い頃しよったら、
上級生に、『演劇部いけ』、ちゅうてどやされたもんでっせ」

『演劇部いけ』、面白いフレーズやな。

これやこれ、これやがな。

年寄りと話しとると、こういうおまけもあるな。
演劇、まっ、ひろーいうて文芸とか文学が低うに見られていた時代に
教育を受けた人ならではの物の言いようやね。

ワタクシ、演劇部に文芸倶楽部、掛け持ちしてましたんやけど。





(ちゃぺる 1−55)  量 り 売 り     7月8日(火)


「かりんとう200グラム、バターピーナッツ150グラム、
それから、えーっと、そのエースコインを250グラムください」、
そんな注文に、ひとすくいで、ピッタリ、紙の袋に入れてしまう神業。

少しずつお菓子を量って買う楽しみを覚えておられますでしょうか。

ステンレスのスコップには、ほんの数グラム残っていますが、
それは、「おまけ」です。

母が商うお菓子屋さんの手伝いをしたことがあります。『量り売り』なるものを
一度で良いから試してみたかったのです。

「コンペイトウを300グラム」と言われて、300グラムちょっと多めに
量ってしまい、多い分を戻したので、後で母から、「あんな量り方をしたら、
お客が損をしたように思うでしょう」と、叱られました。

人の『はかりかた』も、何やら、これとよく似ていますね。

ピッタリはかって、少し『足す』。

決してこの逆であってはなりません。






(歌謡学院 1−55)  ワ イ ア ン    7月8日(火)


夏ちゅうと、なんちゅうても、『ワイアン』や。
えっ、なに、そのワイアンって。
ワイアンちゅうたらワイアンに決まっとるがな。

ハワイアンや! ハワイアン・ミュージックのことや。

ワイアンの特徴ちゅうたら、なんちゅうても、スチール・ギターや。

ギターひき始めの頃や、そこらにころがっとる丸い棒や茶筒みたいなもん
弦の上滑らして、「ぷぴゅーん」ちゅう音だしたな。

七夕祭に商店街が呼びよった「納涼ハワイアン・ショウ」思い出すワ。

早うから行って、揃いのアロハのバンドマンの人らが、音合わせするの
見とってん。

レイ、あのハワイの花輪のこっちゃ、首にかけよった男前のおっさんが、
アンプにスチール・ギター繋いだか思うたら、バーをいっきにスライドさせよった。
ウクレレ、ピックギター、ウッドベース、すぐあと追いかけよった。

ええ響きや。ワイアンは。 

キョービ、どこのビアガーデン行ってもおらんねんて。
ワイアンのバンド。





(ちゃぺる 1−56)  泣き虫牧師      7月9日(水)


隣の分区で、ご婦人の信徒が首を吊って亡くなった。
病苦に耐え切れずの結論であったらしい。

夫人の所属する教会は、専従の牧師不在が五年に及んでいた。
牧師の不祥事があって、後任が見つからないのである。

この教会には、輪番で、ふたりの牧師が係わっていた。

教会員の中から、適切な牧会、つまりケアが為されていなかったのではとの疑問と批判が湧き起った。
田舎の教会では、信徒の自殺など考えようも無いことであったからである。

ひとりの牧師は、棺を背にして頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」

もうひとりの牧師は、棺の前で泣いた。
「痛かったやろう。苦しかったやろう」

遣り場のない空気が告別の場に流れた。
葬儀をキリスト教で執り行うことが適切でないと言う人もいた。

沈黙を破って、ひとりの信徒が、厳かに宣言した。

「この姉妹に、神の許しあり!」

みんな泣いた。
教会員一同、
泣き虫牧師と一緒に泣いた。





(歌謡学院 1−56)   まいるくん    7月9日(水)


ボクの教会にな、「狛田まいる」ちゅう名前のこどもがおるんや。
「こまだ・まいる」、「困った・参る」、ウソみたいな響きや。
みんな、『まいるくん』と呼んでんねんけどね。

この『まいる』が、なかなかの役者やねん。
ボクのライバルちゅうてもええ。
芸風がカブルちゅうか、油断ならんのや。

ボクはいつもオオトリや。ちゅうても、「鳳啓助」ちゃうで。
『まいる』はボクの前や。『まいる』はその意味よう知っとっんねん。

『まいる』の得意は、バイオリン。ことし小学校あがったばっかしやけど、
なかなか上手いねん。オートマタ、つまりや、オルゴール人形みたいな動きで
バイオリン弾きサラシよってからに、客にコビ売って、ウケるように、ウケるように
もっていきよるねん。

その次に出るボク、ムズカシイで。

チャップリンも、こども時代、舞台のソデで大人の芸人にドツかれたり、
ツネられたり、ようされたそうや。

♪恋も未練も 波間に捨てる てぇーい!
掛け声入りの『花と龍』で決めて、控え室に戻ってきたら、
「ベンキョーさせて頂きました。師匠!」
『まいる』が、コませた声で・・・

おまえ、本気でワシ狙うとるやろ。




(ちゃぺる 1−57)  踏 切 警 手    7月10日(木)


大阪方面へ三つ目、大きな踏切があった。阪急電車の踏切である。

踏切には小さな番小屋があり、『警手』、そう呼んでいたと思うが、
舵輪のようなハンドルを回して、遮断機を上げ下ろしする係員がいた。

友人の父親が、その『踏切警手』だった。

踏切近くに社宅があった。社宅といっても、二階建の木造アパート。
六畳一間に友人と上下の男兄弟、父母合わせて五人が住んでいた。
この家の三兄弟は飛び抜けて男前であった。

誘われて遊びに行ったことがある。小さな家の限度は九尺二間まで
と思っていた私は、流石に、その一間きりの家の狭さには驚いた。

ところが、その部屋に床の間があった。
そして、そこには、『焼酎』の一升瓶が置かれていた。
瓶のレッテルには大漁旗が描かれていた。

九州人らしい。

警手は詰襟のような制服を着ていたが、その精悍な顔付きが官軍の
兵士を彷彿とさせた。

番小屋が、手動の時代を死守する小さな砦のように思われた。






(歌謡学院 1−57)  それが、どないしたん  7月10日(木)

幼稚園のセンセイしとったヨメには、ずいぶん長いこと、『食わせて』もろうた。
そらなんちゅうても、ボクが、『オトコマエ』やったからやね。

そう思うわなシャーナイやんか。研究者になるわけでもないのに、
けったいな勉強ばっかり続けとったからね。

つい、幼児教育に興味をもったんや。すぐ、通信教育申し込んだわ。

ほんまは、ショームナイ喧嘩したとき、
「幼稚園のセンセなんかだれでもなれるわい」ちゅうたことがキッカケやったんやけど。

夏のスクリーングちゅうのに参加したらな、ちょっとトウは立っとるけど、
エエオンナばっかしぎょうさんの中で授業や。
「こら、もうけたな」と、思うとったら、同い年ぐらいの坊さんも四、五人おるんや。
そらそうやわ、お寺は幼稚園経営しとるとこ多いもんな。

すぐ仲良うなった。今でゆーところの、『合コン』、そんなことさせたら、
坊さんら大のダイ得意。ボクも性格弱いから、流されて、流されて。

まっ、実践は伴わんけど、ヨメよりランクひとつ上の免許もろた。

「どや」と、一級免みせたら。

「それが、どないしたん」

そらそうやわな、「それがどないしたちゅうねん」、やわな。





(ちゃぺる 1−58)  ワ シ の 番 や     7月11日(金)


ワシの番や     

菓子問屋と言えば、大阪の松屋町(まっちゃまち)です。

小学五年生の時から、母親のお菓子屋さんを手伝っていました。
仕入れにも行きました。大きな荷物を担ぐしんどい買い物です。

一万円ほどの現金を持たされ、生き馬の目を抜く問屋街へ行くのです。
そんな子供を、私以外に、松屋町で見かけた事はありませんでした。

順番に並んで自分の番が来ると、店員のお姉さんを連れて、
あちらこちらの棚にある商品を指差してまわります。
偉そうな気持ちになります。

一万円分を担ぐのは大人でも大変な仕事でしたが、
私は憑かれたように大きな荷物を担ぎました。
私は一廉の商人気取りでした。

ある日、私の順番を飛ばそうとした中年の男がいました。
今にして思えば、私に付いてくれる店員が、別嬪さんだったからに違いありません。

「おい! オッサン!
 ワシの番や、順番守らんかい!」

諸肌脱いで啖呵を切る一心太助みたいです。
店中の人たちが私とその男を取り囲みました。
その男を睨みつけて一歩も引きませんでした。

相手が誰であれ、契約の対等性を訴えたかったのです。





(歌謡学院 1−58)  ス キ ッ プ      7月11日(金)


手が後にまわるちゅうたら、あのことやけど、そうやのうて、手ぇ後にまわして、
あのなんちゅうたかいね、ジャズのシャバダバ、シャバダバ、ちゃうちゃう、
それスキャットやてか。そうや思い出した、『スキップ』や。

スキップのことや。

あのなんちゅうかいな、テイサイの悪いちゅうか、気恥ずかしいちゅうか、あの動作。
ムリにやらされた覚えある?

小学校の低学年の時や。ダンス、お遊戯ちゅうたかいな、まっ、そんなシチュエーションや。
女の子と対になって、うしろ手ぇまわして、スキップさせられたことあってな。
みんなあんまりマジメにしよらんから、センセが指名して駄目出しやりよるんや。

こんな時は、森に木ぃ隠すみたいに、大人しゅうしとかなアカンのや。

いちびりもんがセンセの餌食になりよった。

ご陽気なスキップを半泣きになるまでやらされたら、ほんま、ミジメやで。
ツーンとすました根性ワルそうな女の子と絡んで、あんなことできるか!

しゃーないわ。ボクらは両手をまわして『星屑の町』へ消えたわ。

それ、三橋美智也ちゃうの。

『星屑の町』  詞・東条寿三郎 曲・安部芳明 唄・三橋美智也 (昭和三二年)





(ちゃぺる 1−59)  あぶないよ     7月12日(土)
 

退屈している下宿人を時々楽しませてやることがあります。

バザー用に購入したワッフルメーカーが5台ほどありますので、
ベルギー風ワッフルの種を大きなボウルに作ってやると、
賑やかな喫茶店ごっこの始まりです。

ワッフルの焼きたては実に美味です。ザラメの歯ざわりも隅に置けません。
しかし、高温の器具を使いますので火傷の心配があります。

「あぶないよ」と、ひとりの下宿人に軽く注意しました。

その娘は、震え始めました。『鞭』で躾けられた過去でもあるかのような怯えようです。
注意に対する反応が異常です。

しばらくして、その震えは収まりましたが、周りにいた者たちには衝撃の光景でした。

平素から周囲を盛り上げようと、必要以上に明るく振舞うこの下宿人の幼年期に何か
あったことが推測されます。

人目を気にして、発達段階に相応しない厳しい躾を子供に課する親を儘見受けることが
あります。大人になってやっと習得できる徳育が、宗教や私立の教育機関の中で、
幼い魂に強制される例もあります。

この下宿人に、『あぶないよ』の真意をゆっくり時間をかけて伝えたいと思っています。





(歌謡学院 1−59)  てんのーりのかめ    7月12日(土) 


『てんのーりのかめ、まめ、かめへん』
これ、関東方面のみなさんには、難解なテキストやろな。

『天王寺の亀、豆を噛むことが出来ません』
そう翻訳してもうたら、身も蓋もないねんけど、平和ラッパがヤヤコシイ話を
よけいヤヤコシイにしょるときに、よう使いよったフレーズなんや。

メダカを飼うとんねん。「池乃めだか」やのうて、甕(かめ)で飼うとるんで、
「かめのめだか」や。しょーむなってか、まっ、そう言わんといて。

メダカは、獰猛やで。

ボーフラ食べるちゅうけど、飛んどる蚊でも水に落ちたら一口でパックン。
自分のこども、子メダカ、そら可愛いで、それも食うてまいよるねん。

そやから、中国物産店行って五百円の特価で買うてきたカメ、五つも置くことに
なってしもうたんや。別けて飼わんとトモグイしよるからね。

ペットショップで買うてきた追加のメダカをやな、どのカメに入れよかなと、
メダカに聞いてみたんや。ほんならな、真ん中においてあるカメ見て、

オトコマエのメダカが、

「3カメさんお願いします」 ・・・・・ やて。





(ちゃぺる 1−60)  薄 汚 れ    7月13日(日)


分区長が風邪をひいたので、代理で滋賀方面へ赴くことになりました。

あの狸の焼き物で有名な信楽を超え、山道をひたすら車で走ります。

途中、町らしくなるのは、
狸の大きな焼き物が道路脇の幾つかの店に並ぶ信楽町を通過する時だけです。

アラビアのローレンスがバイク事故を起こしてこの世を去ったような山道を、
狸に見送られて走っていると、脇道に停まっている二台の車が目に入りました。
やり過ごした一瞬、中年の男女が深刻な表情で向かい合っている姿が網膜に残りました。

あってはならないオトコとオンナの関係でした。

抱き合っていた。そんなことではありません。
それなら、まだ良かったのかも知れません。
破局の瞬間に間違いありません。

『短くも美しく燃え』という映画を見たことがあります。

貴夫人と立派な軍服にサーベルを佩びた若い将校の愛の逃避行。
そんな内容だったように記憶していますが、時間の経過とともに、
二人の衣服が薄汚れ、交わす会話に毒が含まれていきます。

狸が出るような山道で、
逢瀬を重ねる二人の薄汚れが気になりました。





(歌謡学院 1−60)  かめへん、かめへん     7月13日(日)


二回りも年上の弓野サンちゅう兄弟子と共同生活をしたことあるねん。
お茶のセンセみたいな感じの人なんや。頭は角刈りやで。

弓野サンは、良家のご出身、エエとこの人。
そやから、お行儀めちゃめちゃエエねん。

「キシモト君、お便所の仕方、間違ってますヨ」とか、
「お掃除は毎日、こまめにしましょうネ」とか、そんなんや。

「およろしいかと、ぞんじます」、これ何回も言わされてん。舌噛むわ。


そうなんや。弓野サンは、ごっつ綺麗好きで上品やねん。

そやけど、それとは別にな、くっさいモンとか、
グロテスクなもん見たり聞いたりするのん大好っきなんやで。
けったいやろ。

毎週、礼拝のある前の晩、土曜の晩にな、飼うてる亀、洗わはるねん。
ぬるま湯用意してな、一匹づつ、ていねいに、タワシで洗わはるねん。

「くさいナ。汚いナ。かめちゃん、きれいきれい、しませうね」

亀の水槽、競技用プールみたいな透明度や。
亀えらいメイワクそう。

なんやて? 
亀ちゃん、「かめへん、かめへん言うてる」ってかいな。


No.1 創刊号(1〜10話 11〜20話 21〜30話 31〜60話  61〜66話) 
No.2 夏号 休み特集号(No.2)
No.3 秋号(1〜10話 11〜20話 21〜24話
No.4 歳末特集号(1〜10話
No.5 冬号(1〜10話
No.6 夏号(1〜15話

No.7 続1(1〜12話
No.8 続2
(1〜7話
No.9 続3(1〜8話

最初のページに戻る