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  オスエ(ヲスヱ)の墓前 365日(2015年4月開始) 


(2015年度ヲスヱの墓前365日)
(2016年度ヲスヱの墓前365日)
(2017年度ヲスヱの墓前365日)
(2018年度ヲスヱの墓前365日)
(2019年度ヲスヱの墓前365日
(2020年度ヲスヱの墓前365日)
(2021年度ヲスヱの墓前365日)
(2022年度ヲスヱの墓前365日)
(2023年度ヲスヱの墓前365日)
(2024年度ヲスヱの墓前365日)
                                                          
                                          
    2025年度 



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2015年4月-現在に至る墓前画像があります。


D大学チャペルでヲスヱの信仰を紹介しました。(2017年)



 

この墓は、戦中、京都府南部においてたった三人のキリスト者の
ひとりであった宮本ヲスヱ姉の信仰を親族が顕彰して建立したものである。


    
   聖餐式



   
2013年6月8日  宮本ヲスヱ記念会(帰天46年))
司式:後宮俊夫牧師  
補佐:岸本兵一牧師




世光教会史が語る京田辺市大住の地におけるキリストの証し人
宮本ヲスエ姉の実像 

一復員青年である榎本保郎神学生(ちいろば牧師)を用いて建てられた世光教会は
その創立の端緒から奇しき聖手を以て導かれました。(世光教会30年史より抜粋)

昭和24年9月、世光教会は伝道の熱意に燃えて田辺大住と淀八幡の地へと伝道活動を開始する。
大住の信徒の間で伝道所と保育園設立の機運が高まり、
マックナイト宣教師と榎本保郎牧師牧師を顧問とする設立準備委員会が作られ、
宮本スエ姉(ママ)が委員長となり町当局への積極的な働き掛けがなされた。
翌年1月町有地と隔離病棟の建物の借用が可能となり募金活動がなされ
昭和27年4月開所式の運びとなった。(世光教会20年史より抜粋)

大住保育園(自動車の前方)
大住村の青年たちの郷土愛とヲスヱの信仰、ちいろば牧師の祈りを忘れてはならない。


8柱の若き兵士たちが眠る大住墓地。(ヲスヱの墓は後方)
この若者たちも生還していれば村の発展に大いなる貢献を為したであろう。



  
宮本ヲスヱ姉 1902年(M35)10月1日生-1967年(S42)3月31日帰天)


宮本すえ姉(ママ)は、昭和42年3月31日召天。姉は明治35年香川県志渡町に出生。
宮本姉が信仰を求められたのは昭和6年。洗礼は昭和15年であた。
姉が属しておられたのはホーリネス系であったため当局の圧迫があったが信仰を棄てなかった。
戦後、榎本牧師と知り合い集会のために家庭を開放された。
更に大住伝道所保育所の設立を進め代表役員となって活動された。
姉が居られなかったら、或いは今のような形にならなかったとも思える。
(世光教会20年史-「天上にある人を偲んで」より抜粋)


50年前、後宮と私は全く未知の世界である田辺町大住の地に世光教会より遣わされました。
世光教会は創立4年目にして信徒が20名ぐらいの時に大住伝道所(※大住保育園)を生みだしたのです。
開拓伝道と新設の保育園で働き、無我夢中で榎本保郎夫妻を模範として、
ただ一人の信徒である宮本ヲスエさんと共に、祈り働きました。
(世光教会50年史「今あるのは、神の恵み」 後宮松代牧師夫人著書より抜粋)


宮本ヲスヱの聴診器(象牙)



 
    主 日 礼 拝




2025年4月2025 イースター礼拝


2025年4月13受難第6主日



2025年4月6受難第5主日