京都教区センター教会 メッセージ要約 『ちゃぺる・キシモト』のページに戻る
2022年4月17日 センター伝道所開所式
https://youtu.be/Rc_6voly7cI
動画アーカイブス
【奨励要約&就任挨拶】
「センター教会って、円を描くコンパスの針の先ちゅうことかいな」。
「ちゃいまっせ。この伝道所は、あなたの教会がセンターやちゅうことを言いたい。
もっと言うと、あなたの人生が、この世の隅っこにあってならんちゅうことを言いたいのや」。
「なるほど、キシモトさんらしい言いようやな」。
墓の石が転がされているのを見て、何事ぞとマグダラのマリアは、シモン・ペトロのもとへ走った。
シモンは俗名。ペトロはホーリーネーム。この表記は興味深い。
もう一人は、バンドマンたちの坊やのような存在で名を伏せたヨハネ。
墓にはペトロを出し抜いて到着した。
しかし、それより先は、ペトロに控えた。
『京都教区センター伝道所』は、このヨハネのいじらしさを大切にしたい。
ペトロは、教区内の諸教会・伝道所をイメージしている。
筆頭弟子の体力を補う坊やのような働きを期待されたく願う。
そのような『ふとした思い付き』、あるいは、『荒唐無稽な妄想』が生かされる余地が、
プロジェクトの坊やたちにあるような気がしている。
あなたのセンター教会へ、寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。
2022年4月17日 イースタ・復活節第1主日
説教題 『お弁当』
聖 書 ヨハネによる福音書 20章1〜18節 新約聖書(新共同訳) 209ページ
讃 美 歌(21) 329(1,5) 目覚めよ、歌えよ
「しあわせだなぁ、ボクは。ボクは君といる時が、一番しあわせなんだ」。
「よう言うわ」。
真っ赤なアメ車にサングラス、ギンガムチェックのシャツにジャンパーも赤。
ラジオ関西の電話リクエストからプラターズが流れる。
「オッ・オッ・オンリイ・ユーーー」。伸びのある裏声に鶏の首を絞めるような物真似を被せる。
車は須磨海岸あたりを走っているかも。
せわしくダイアルを回す。
ラジオ大阪から『長崎は今日も雨だった』が流れる。『あめぇだぁった』の部分が決めの裏声だ。
「あなたひとりぃにぃ、かけぇたぁこぉ〜いぃ」。
「ヘタな歌、やめてよ」。
「やかましいわ。君は、言いたいこと言いぃのゆうこ、ゆう子か」。
「ゆう子ってだれやの」。
リッター3キロと走らない中古のアメ車を気前よく友人が貸してくれる。
何時止まるか分からない大雑把な鉄の箱がふたりの喫茶店だ。
あなた一人だけ。誰でもわかる進駐軍英語で言えばオンリーユーだ。
オンリーさんと言うと意味が少々異なるのだが。
あなた一人だけよ。
これを言われても分からない。言っても通じない。
それが痘痕(あばた)も靨(えくぼ)の青春、回転禁止の青春だ。
イエスは復活した。
復活は受難とセットになっていたことが理解されなかった。
残酷な見せしめの刑が終わった。残ったのは失望と悲しみだけであった。
それでも、せめてもの人並みの葬りへの思いがあった。
その思いは、マグダラのマリアに強く表れた。
マリアは、墓へ向かった。
復活のイエスに最初に出会った女性として描かれている。
七つの霊を追い出してもらった時から、一途な思いを持ち続けていた。
性根の腐った女が、ありのままの自分を受け入れてくれたイエスを一人の男として慕っていた。
1970年代の聖書注解の中には、イエスの足元に高価な香油の入ったアラバスターを砕いた行為を拡大解釈して、『性的なサービスを為した』とするものがあった。
役者が巡業先へ連れて行く愛人を『お弁当』と言うそうだが、二人の関係をそのような品性で語る説教もあった。
『携香女』の称号が持つ伝統的なイメージに対する抵抗があったかも知れない。
墓石が転がされていることをペトロやヨハネに知らせに行った。
ペトロたちはイエスの頭を覆っていた布切れが丸めて放置されてあるのを見て、
復活を直感し、信じたが、マグダラのマリアは、イエスの遺骸を求めた。
腐乱臭が漂うイエスの死体を探した。
その屈折した期待は裏切られたが、
「先生!」と声を発した時には、イエスはマリアだけの男ではなくなった。
「腰の軍刀に縋(すがり)り付き、連れて行きゃんせどこまでも」。
主の復活に生きるそれぞれの人生が始まったのである。
写真と本文は関係ありません。
2022年3月20日 受難節第3主日
説教題 『フランシーヌ 3・30』
聖 書 マルコよる福音書8章31〜36節 ・9章1節
讃美歌(21) 298 ああ主よ誰がため
「図書館は、ここをまっすぐですか。分からんのよ」。
『まっすぐ』と『分からんのよ』に独特な抑揚がある。
母の郷里の言葉である。
松山から出て来たと言う。
烏丸車庫近くの下宿に来いという。
一昔前の芸能雑誌を切り抜いたようなレースのカーテンやぬいぐるみのある部屋だった。
『ノルウエーの森』の茶番を感じた。
ギターがあった。フォークソングが好きだと言う。
彼女のリクエストに応じて何曲も歌った。
指使いの難しいB♭の特訓もした。
コーヒーが出て来た。
ミルク饅頭の母恵夢(ポエム)も出て来た。
一人暮らしの女子大生の部屋に男子学生が遊びに来る。
深夜ラジオで聴いていた都会暮らしの自由が手中にある。
妄想以外のなにものでもない。
余りに楽しそうにするので、気軽に一人暮らしの部屋に人を招いてはいけないと“説教して”最終の市電に乗った。
彼女は反戦集会でフォークソングと出会ったらしい。
ギターと平和運動はセットであった。
教育県で育った彼女にはリベラルな目で世界を見ることが新鮮だった。
同時に、そこに集う学生たちのファッションに気後れも感じていた。
『分からんのよ』を切っ掛けに図書館で出会ったヒッピー風の男子は彼女の妄想を頂点へと導いた。
ところが、皮肉にもその男子は、学園の喧騒を嫌って伊予の祭りや習俗の探訪に熱を上げていたのだが。
「フランシーヌさんは、なんで死んだんじゃろね。キシモト君」。
ポエムが柚子餡の一六タルトになっていたが、インスタントコーヒーの不味さに変わりはなかった。
1969年三月、彼女の理解を超える出来事があった。
フランシーヌ・ルコントという女子大生がビアフラの飢饉に抗議してパリの路上で自らの身を炎に包んだのだ。
事件は、『フランシーヌの場合』というヒット曲にもなった。
♪3月30日の日曜日、パリの朝に燃えた命ひとつ、フランシーヌ♪
散文にメロディーが付いていた。焼身自殺とメディアは報じた。
ベトナムのお坊さんがガソリンを被って戦争に抗議したことが頭にあったからじゃろね」。
「ふーん、そうかねえ」。
「分かるように言うちゃるけん。
信心深いウサギさんが、お腹を空かした旅のお坊さんに自分を食べてもらおうと
焚火の中に飛び込んだようなことじゃなかろうか」。
ベトナムの僧侶も焼身自殺と報じられたが、文化人類学を齧る者としては強い違和感を感じていた。
一番の執着である自らの命を焼き尽くすことはホトケの教えではないか。
新聞は、炎に包まれた僧侶の法悦を画像付きで報じたではないか。
『また福音のために命を失う者は、それを救うのである』。
ベトナムの僧侶も十字架のイエスも、怖いもの見たさに取り憑かれた衆愚の戯れに慈悲と愛をもって耐えた。
イザヤが叫ぶ。『そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた』。
彼とはだれか。
フランシーヌの死を悼んだ20歳の頃(1970年)
2022年2月20日 降誕節第9主日
説教題 『カファルナウム霊験記(れいげんき)』
聖 書 マルコによる福音書2章1〜12節 新約聖書 (新共同訳)63ページ
列王記下18章14〜20節 旧約聖書 (新共同訳)609ページ
讃美歌(21) 505 歩ませてください
「今日で三日目やな、関東炊き」。
「なんか文句あんの」。
「いや、非常に経済的やなちゅうてるだけや」。
ある老夫婦の夕餉の会話のようだ。
一週間続くかす汁もあるだろう。
「ムカシ、おでんにコロちゅうの入っとったな。
壺坂霊験記のあれ、あれや」。
「またヘンなこと言おうとしてるわ」。
「妻は夫をいたわりつつ、夫は妻に慕いつつぅ。頃は、六月、なかぁのぉコロッ。夏とはいえど片田舎」。
「橿原神宮前から吉野線ですぐやから、コロナ明けたら桜でも一緒に見に行ってやってもええよ」。
純愛を貫いた沢市、お里が聞いたら呆れるような夫婦の会話だ。
ルルドの泉であれ、壷坂寺であれ、霊験スポットには理屈がない。
名所となってしまえば七五三(シメタ)たものである。
十一面観音の霊力が座頭沢市の目を開いた。
壺坂霊験記は浄瑠璃や浪曲として演じられ一世を風靡した。
1875年の作である。作り話である。
盲目の沢市が、お里の密かな外出を浮気と邪推するところから物語が始まる。
お里は沢市の目が見えるようにと観音に手を合わせていたのである。
それを知った沢市はお里に心から詫びてお参りに同行する。
しかし、お里が目を離した隙に、己が妻を不幸にしていると思い込み谷底に身を投げてしまう。
沢市のお里への愛であった。
本気で自分の視力が回復することを信じていなかった。
谷底に死に絶えた沢市を見たお里は、念仏を唱えながら死のダイブを試みる。
その時、観音の霊験によって、沢市はラザロの復活さながら生き返り、目も開かれる。
観客は完全燃焼する。同じ浄瑠璃でも曽根崎心中とはえらい違いだ。
イエスは、中風の人に、「あなたの罪は赦される」と言った。
罪の赦しは、中風の快癒とセットであった。
中風の人は、その言葉を沢市同様に信じなかったであろう。
沢市は、自らの死を選んだ。
中風の人も身動きの出来ない体を捩(ね)じり捩(よじ)ったかも知れない。
そこまでやらないで欲しい。
衆人環視の中で恥をかきたくない。
そういう思いを抱いたも知れない。
しかし、お里や中風の男を運んできた四人の男たちは、心から霊験を信じていた。
壺坂霊験記は、明治維新から十年を経ずして創作された。
政府が強権を発した廃仏毀釈に軽率な支持者が寺院や仏像の破壊者として加担した。
文化財が薪にされた。その時、カファルナウムの霊験が壺坂の片田舎にも現れた。
無垢な人々の苦々しい思いが大衆芸の形を借りて癒されたのであった。
奇跡や霊験が有ると言うな。無いとも言うな。
それしか求ざるを得ない程に切羽詰まった隣人の存在を身近に感じているか。
それを、自らに問うてみよとイエスは迫る。
夏期キャンプの徒然に三味線と笛を製作1980年コロ
2022年1月16日 降誕節第4主日
説教題 『兄弟舟とおやじの湖(うみ)』
聖 書 マルコによる福音書 1章14〜20節 新約聖書 (新共同訳)61ページ
エレミヤ書 1章4〜12節 旧約聖書 (新共同訳)1173ページ
讃美歌(21) 510「主よ、終わりまで」
「これ、どんなふうに食べたらええんでしょうか?」。
三つ揃えのスーツを買った。
立派な身なりが癖になった。
怖い者知らずとなった。
ブルーグレーという色だった。
今にして思えばドブ鼠色だったのだが、細身の体系にぴったりしていた。
ネクタイも王室の紋章が鏤(ちりばめ)められていた。
これなら何処へでも出て行ける。
経済学部新卒者歓迎会の案内状が来た。
豪華なホテルが会場だった。
乾杯前に牧師の祈りがあったが、会場のノイズにかき消された。
騒がしさの中に新卒者を探してみたが一人も見当たらない。
成功した経済人ばかりだ。居心地が悪くなってきた。
フォークやスプーンがズラリと揃えられたテーブルに怖気づいた。
「これ、どんなふうに食べたらええんでしょうか?」。
隣席の爺様に尋ねた。
「好きなように、食べたらええのや」。
何んとも力の抜けた柔らかい声だった。
「退屈やのう」。
お歴々のスピーチの間、爺様ととりとめない会話を楽しんだ。
会場内の偉そうな人たちとは違った関西弁丸出しの好々爺が誰であるのか知る由もなかった。
「汝の敵を愛せよ。本日お招きした講師先生は、
真珠湾攻撃、空襲部隊総指揮官、淵田美津雄大佐であります!」。
ブラウン管テレビ口調を真似た司会者のアナウンスがあった。
隣の爺様が席を立った。ありゃま。これは一体どうしたことか。
ペテロも迫害下にあってパウロの薫陶を受けた若きエリート伝道者たちと食事を楽しむ場面があったと思われる。およそインテリジェンスなるものから程遠い風貌やレスラーのような体形がペテロ教皇様であることに気付かず
、己の不明を恥じた若造もいたことであろう。
ペテロと兄弟アンデレ、連れの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネは、
ガリラヤ湖で網を打っていた。
長半纏の粋なお兄さんたちであった。
雇人までもいた。
ガリラヤは都から離れた田舎であった。
蔑視もされていた。
しかし、それに頓着するガリラヤ人はいない。
赤毛のアンの舞台になったプリンスエドワーズ島を彷彿とさせる豊かな自然があった。
豊かな自然は、啓示宗教のアンチかも知れないが、それが何だと言うのだ!
ペテロたちは、イエスに目を付けられた。睨まれた。
『ご覧になった』とある。
おやじの湖(うみ)に浮かぶ兄弟舟を捨てろと命じられる。
人間を獲る漁師になれと迫られた。漁師は魚の味を知っている。
塩辛の味も知っている。
年代ものの鮒寿司もあった。
ガリラヤは、人の辛苦を身に染みて知る土地柄である。
言葉の訛りが人の警戒心を解く。
『好きなように食べたらええのや』。
ペテロたちは、復活の主に、再び、ガリラヤで出会う。
イエスも鯛もペテロを睨んでいる
2021年12月19日 待降節第四主日
説教題 『編機と乙女の祈り』
聖 書 ルカによる福音書 2章1〜7節 新約聖書 (新共同訳)102ページ
ミカ書 5章1〜4節 旧約聖書 (新共同訳)1454ページ
讃美歌(1) 404 やまじこえて
「これこ〜れ、石の地蔵さん、西へ行くのはゴリラかえ〜。ダイコ(大根)安いで」。
買い物客で賑わう駅前商店街は、もはや戦後ではなかった。
八百屋のおっさんは、美空ひばりの花笠道中を訳の分からない替え歌にして客を呼ぶ。
天井から吊るした笊は銭で溢れている。
『市場』と呼慣らされた商店街は豊かな新年を迎えようとする買い物客でごった返していたが、
雑踏の中で少年の心と体は冷え切っていた。
正月の食材とはいえ気後れのする買い物を言い付けられていたのである。
貧しい買い物籠に溜息が出た。
少年の両親は漂流者であった。
互いの似た境遇が景気の良さそうな町で所帯を持つ夢となった。
ふたりは故郷を離れた。
正真正銘のハイマートロス(Heimatlos)となった。
手に付けた職が全てであった。
母親は平賀源内の孫から厳しい行儀作法を叩き込まれ、裁縫を習得した。
洋裁や料理も得意であった。
父親は大陸で理髪師の技術を磨き社交界の専属となった。
共に尋常高等小学校を級長で通したが複雑な家庭環境がそれ以上の教育環境を許さなかった。
戦後の混乱の中でふたりは出会った。晩婚であった。
ふたりは『市場』で商売を始めようと財を蓄えた。
身に付けたプロの技術がそれを可能とした。
ソフト帽にロイド眼鏡。ツイードのコート姿の父親。
母親と揃いのギンガムチェックのシャツ姿が聖母子を思わせるような一歳の誕生日。
ふたりの漂流は終わろうとしていた。
小さな借家は、キリシタン大名高山右近の城跡近くにあった。
身重のマリアをロバの背にヨセフは、ナザレ村から140キロの山道をベツレヘムへと向かう。
ナザレ村は標高400メートルにある。
ローカル的な表現をすれば、一休寺を見下ろす甘南備山の倍の高さである。
ベツレヘムの町は、甘南備山の三倍を優に超える。
聞き齧った知識ではあるが、江戸時代の東海道は新京極や心斎橋の賑わいに同様の混雑であったらしい。
皇帝の命による本籍地への命がけの旅は、人の切れ目がない歩く満員電車状態であったであろう。
ベツレヘム到着も安堵の時ではなかった。
宿無しの悲哀が聖家族の振り出しであった。
『余所者としてやって来て、余所者として去って行く』。
少年の父親は『市場』へ参入を目前にして軍隊時代の古傷が悪化し長い入院生活を余儀なくされた。
母親は蓄えた開店資金を夫の命に代えたが、
賑わう歳末の商店街への遣る瀬無さに少年の心を苛んだとしても
漂流者の矜持は何ひとつ損なわれることは無かった。
父親不在の母子家庭に世間は決して優しくはなかったが、
夜なべの編み機の往復運動の音が降誕の場に馳せ参じた羊飼いたちのざわめきに、
真空管ラジオから流れる『乙女の祈り』が夥しい天使の群れの讃美に、
あるはずの無い記憶として少年の心に重なる。
2021年11月日21 降誕前第5主日
説教題 『亀は愛である』
聖 書 マタイによる福音書 25章34〜40 節 新約聖書 (新共同訳)51ページ
サムエル記上26章7〜12節 旧約聖書 (新共同訳)472ページ
讃美歌(21) 229今きたりませ
「センセは命の恩人です。危ないところ助けてもろうて」。
何のことか分からない。
「お通りにならんかったら、わたし、今、ここにはおりません」。
息が荒い。ますます、分からない。
間もなく礼拝が始まろうとしている。こんな時に。
その女性信徒は、昨夜、リアルな夢を見たらしい。
車を運転していてカーブを曲がり切れず崖下に転落したが、
木の根に辛うじて車の後部が引っかかり、
深い谷底を見下ろす形で車ごと宙ぶらりんになったらしい。
絶体絶命。
車の重みに木が耐えられなくなり、あわや車もろとも。
その時、崖の上を通りかかった私が救出したと言うのだ。
『遅かったじゃないの!』ってハリウッド映画の女優みたいな台詞を決めませんでしたか
と返して礼拝堂は爆笑の渦。時間通りに礼拝は始まった。
手錠姿の顔見知りの人がテレビのニュース画面に大写しになる。
あの人だと妻が言う。留置場へ面会に行くべきか。
獄中の人は、イエス本人であると聖書は教える。
なんと、非現実的な教えだろうか。
親族ならまだしも趣味の会で顔を合わせる程度の人に『遅かったじゃないか』の一言を得る行動をとるべきなのだろうか。
崖下に助けを求める女性信徒を救出したように。
妻に先立たれて後、息子も病死した。
生きる望みを失った靴屋のマルチンの教会への足は遠いたが
店の前を通り過ぎる人たちへの関心は薄れなかった。
マルチンは、イエスの声を聞く。「今日、お前のところに行く」。
店の前を通りかかる雪かきの老人、赤ん坊を抱いた貧しい母親、リンゴを盗んだ男の子との寸劇が始まる。
マルチンは、それぞれの事情に深く関わってしまう。
そして、イエスの来訪が無いままの一日が終ろうとする。
空耳だったのかと落胆するマルチンに声があった。
「マルツン、マルツン、あれはみんな、ワタスだったのだ」。
ざわめきが起こる。
「誰の声やろ?」。
畳掛けるように、極めつけの津軽弁が舞台奥から響きわたる。
「亀は、愛である!」。
「園長はんの声や!!!」。
リンゴを盗んだ少年を演じた小柄でお茶目な女性入居者が何度も何度もカーテンコールに応える。
経費老人ホームなる施設名が耳新しい時代のクリスマスであった。
『主よ、いつわたしたちは、・・・(中略)・・・いつ、病気をなさったり、
牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか』(25:39)
難儀をしている人の夢の中に現れて救いの手を差し延べる。
あなたに助けられた言われても困惑するばかり。
天の国へ道は、それほどまでに善行の記憶から程遠い人に開かれているのかも知れない。
写真は本分と関係ありません。
2021年11月14日 降誕前第6主日
説教題 『番頭はんと丁稚どん』
聖 書 使徒言行録 3章1〜10節 新約聖書 (新共同訳)217ページ
申命記18章 20〜22節 旧約聖書 (新共同訳)310ページ
讃美歌(1) 196 うるわしきは かみのみとの
「わたしたちは、今の教会とは関係ありませんので。お越しにならないでください」。
重ねた。週報や印刷物を持参する無神経を叱られた。
テープに吹き込んだ。
ある日、上がり框(かまち)で長い祈りが始まった。
「センセと教会のために祈らせていただきます」。
その時、床をこする音がするので薄目を開けた。
その人の妻がいた。落語の『青菜』ではないが、二間先の奥から這って来たのである。
足が不自由であることを知った。
「センセ、あの家には行かんでもええと言いましたやろ」。
無理をするなと役員が言う。
イエスの昇天後、聖霊のシャワーを浴びて教会が誕生したが、尖塔に十字架を括りつけた教会がそこにあった訳ではない。
弟子たちの神殿へのお参りに変化はなかった。
ペテロはヨハネを伴って美しの門に向かう。
この光景は、楽しく想像するに、花登筐が描く船場の番頭と丁稚のコンビを連想させる。
あるいは、大学のゼミを。
ペテロ教授はヨハネ神学生をフィールドワークに連れ出しているのである。
神殿の入り口に『生まれながら足の不自由な男』が、たった今、運ばれて来たところだった。
「旦那様方、お恵みを」。
足の不自由な男をペテロは見据えた。
美しの門を通過する人の群れが滞った。
ペテロ教授は、物乞いと喜捨の相互利益を講義するのか。
ヨハネは、後ろポケットからスマホを取り出し動画撮影を始める。
この光景をネットにアップしなければ。
『金銀は、わたしには無い』その決め台詞がSNSに拡散した。
過疎の村の老婆が交通の不便を訴えて、『足が無い』と言う。
政治家は、それが票に繋がると判断すれば金銀を撒き散らす。
生活困窮者に喜捨をすることをパリサイ派も勧めていた。
しかし、ペテロはイエスと人生を共に歩む『足そのもの』を祈り求めよと言い放った。
足の不自由な男は、立ち上がり、踊った。
訪問先の夫婦に一人息子がいた。
窮屈な『エス様、エス様』の生活を嫌い家を飛び出した。
遊び人を極め社交ダンスの先生になった。
母親の足を取り戻したのであった。
そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。
使徒言行録3:8
2021年11月7日 降誕前第7主日
永眠者記念礼拝
説教題 『持ってけ泥棒』
聖 書 創世記13章 8〜9節 旧約聖書 (新共同訳) 16ページ
マタイによる福音書 3章9〜10節 新約聖書 (新共同訳)4ページ
讃美歌(1) 536 むくいをのぞまで
「見上げたもんだよ。屋根屋の褌」。
少々下品だが、流れるような口上で縁起物やいい加減な便利グッズを叩き売る寅さん。
エンディングに渥美清の糸屑のような細い目が大写しになり客は幸せの余韻を残しながら映画館を出る。
懐は寂しいのに見栄を張る風来坊の気風の良さが人口(じんこうに)に膾炙(かいしゃ)する。
イエスの愛を叩き売る牧師の悲哀に然も似たり。
アブラム(アブラハム)は父テラに伴われ、
あたかも摩天楼時代のニューヨークを彷彿とさせるメソポタミア文明最頂点の大都市カルデアのウルに背を向け
カナンの地へと旅立つ。
その移動は大規模経営の遊牧民のそれであった。
親族、羊飼い、家畜、金銀財宝の大船団が機動性の制約を受けながらも日に日に、着実に、
歪んだモダニズム、ウルの地を離れていった。
日に日に、着実に神の国へ近づいて行ったのである。
船団は霊的な世界に導かれていることを意識していた。
ところが、父テラは移動の途中、ハランの地に腰を落ち着けてしまう。
肉体と信仰のスタミナが切れたのであろう。
途方に暮れるアブラハムに、子々孫々と受け継がれる神からの大いなる祝福が約束された。
『住み慣れた故郷を離れよ』との条件付きで。
76歳にして、アブラハムは大いなるフーテン、自由人となった。
さらには、別嬪の妻と共謀して美人局(つつもたせ)の真似事までしてエジプト王の財をむしり取ったりもした。
アブラハムには甥のロトとの分離を止む無しとするほどの資産が蓄積された。
アブラハムは、ロトに好きな営業地を選んで良いと言った。
アブラハムは気前よく大きい餅を呉れて遣る。
叩き売りだ。
ロトは厚かましくもヨルダンの低地を選んだ。
その地は牧畜に最適な土地であったが享楽の痴態を憚ることのない風土もあった
ロトに大災難が降りかかかる。
神の怒りがソドムとゴモラの町に降り注いだのだ。
アブラハムは神にとりなしを請う。
正しい人が50人いれば赦してもらえるかで始まり、40人、30人、20人と叩き売りを始め10人に落ち着いた。
気短な神が『持ってけ泥棒』と癇癪を起したのである。
しかし、その10人も怪しかった。
ロトが選んだ土地は炎熱地獄と化した。
這う這うの体(ほうほうのてい)でロトの命は助かったが、
『未練を残して脱出するな』と厳命されたにも拘わらず後ろを振り向いたロトの妻は塩の柱とされてしまった。
ロトは泥棒のように伯父から良い方を選び取ったが、全財産と頼りの妻までを失ってしまった。
ヨルダン川に押し寄せる群衆に、バプテスマのヨハネは悔い改めを叩き売る。
「持ってけ泥棒。持って行けるなら」。
『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。
2021年10月31日 降誕前第8主日
宗教改革記念日
説教題 『待っても来ないのか』
聖 書 マタイによる福音書 25章1〜13節 新約聖書 (新共同訳)49ページ
ヨハネの黙示録章 4〜9節 新約聖書 (新共同訳)476ページ
讃美歌(1) 384 我こそ十字架の
「君とメシ喰うと不味い」。
友は、中華テーブルの料理をリスやハムスターのように口一杯に頬張る。
その後は、ひたすら咀嚼(そしゃく)する。
「なんぼボクらが丑年でも反芻はないで。なにか面白い話しのひとつでもせんかい」。
返事はない。
喋れるはずがない。
その友を一講時が始まる9時前に階段教室の前で見た。
「概論はじまるで」。
声を掛けたが教室には入らなかった。
五講時まで教室前のベンチに座っていた。
「誰か待ってるんか」。
「彼女」。
友は肩を落としてぼそっと返事をした。
そのような日が三日も続いた。
彼女との待ち合わせを延髄で反芻するかのように友は胸を一杯にして待ち続けた。
期待は裏切られたが、三日続けて彼女を待ち続けた友の片恋は同窓会の伝説となった。
イエスは復活の後、天に昇り、見上げる人たちに再び地上に姿を現して神が支配する千年の王国の始まりを約束した。
その日を学校の行事感覚で表現するなら、入学式から五月の連休までの期間、
長目にみても夏休み前までと信じられた。
この短い期間は信徒の生活に極端なまでの倫理性を求めたが、
それくらいの期間ならマジメに過ごせるだろうとの楽観が伴った。
しかし、イエスは、クリスマスを過ぎ、正月、冬休みとなっても現れることはなかった。
年度が替わる春休みになっても姿を見せなかった。
大東亜戦争に終末を見た信徒たちの前にも現れなかった。
二千年の待ちぼうけである。
信徒の倫理生活に苦痛が伴い始めた。
油の予備がない五人の乙女を『愚かな女』とイエスは切り捨てた。
愚かな乙女を律法学者や祭司に譬えたと推測される。
賢い乙女たちは、イエスの周りに集まるスポイルされた人々とするならこの譬えは痛快である。
神に愛される者とそうでない者をフィフティー・フィフティーとしたことも分かりやすい。
ヨハネの黙示録はもっと分かりやすい。
十人の乙女たちは花嫁の付き添いである。
花婿は花嫁の家に向かう。
行先には厄介な関所が待ち構えている。
迎えに行って連れ帰ると盛大な婚宴が始まるのだが、
花嫁の親族や町内の者たちが難癖をつけて到着を遅らせようとする。
「お前みたいな甲斐性無しに大事な娘はやれん」。
「これで勘弁してくださいよ」。
クサイ俄(にわか)芝居に散々付き合わされ祝儀を渡す。
通せんぼは、延々と続く。
花婿の到着時間は不明だ。
イエスの再び来られる日も”God only knows”である。
来ないのである。来ないイエスを待つのだ。
ガス室の中で『いない神に』祈った民がいた。
神と共にある『究極の生』があった。
その夜、賢い五人の乙女たちは花婿を迎えた。
娘たちは姦(かしま)しくブーケトスに興じる。
イエスは既に我々の日々の生活の中に来ておられる。
通せんぼが二千年も続いているはずがない。
油の予備を用意して花婿を待った5人の乙女を
仕事の模範とすると某キリスト教主義学校の事務長のデスク。
2021年10月24日 降誕前第9主日
説教題 『なにをえらそうに』
聖 書 使徒言行15章1〜10節 新約聖書 (新共同訳)242ページ
出エジプト記4章24〜26節 旧約聖書 (新共同訳) 99ページ
讃美歌(1) 讃美歌 503 はるのあした
「不愉快だ!」。
その人は、神学者と称するらしい。
その人は、牧師研修会の講師として招かれたのだが、案内係の牧師の段取りの悪さを何度も詰(なじった)った。
それは、召使の不手際を叱責する主人の不寛容そのものであった。
講師は大きな教会の牧師でもあるらしい。
そんな立派な牧師様が、王のように振る舞うことに戸惑いを覚えた。
講演は、型に嵌(はまっ)た授業のようであた。
無知を矯正するかのような高圧があった。
反発があった。
横着に足を組む牧師。
瞑想居眠りを始める牧師。
メモを取るふりをしながら窓の外の景色をスケッチする牧師。
機械的に頷いて熱心に聞くふりをする牧師。
「私への質問は質問用紙に記入してください」。
「何をえらそうなこと言うとんのや」。
隣席の先輩牧師が聞こえるような声で呟(つぶや)く。
質問を紙に書くというようなことを聞いたことがない。
講演後の質疑応答は、ヨイショと決まっている。
理路整然としたアンチもあるが敬意は払われる。
講師と自分がどれほど親しい旧知の間柄であるかを印象付ける目立ちたがり屋の出番であったりもする。
講演の二部を任された。
『開拓時代におけるアメリカ南部農民の伝承歌の紹介』とタイトルに学問的な箔を付けてギブソンでご機嫌を伺った。
「キシモト、何か面白いことやれ」。
呟き牧師が叫ぶ。
講師は演芸館の楽屋に転がっているようなギターを機嫌悪く一瞥し不手際牧師を案内させて別室へと消えた。
『割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』。
この傲慢が教会を危機に陥れた。
偉そうな何様気取りが教会をカビ臭い地下牢に案内した。
ファリサイ派から信者になった一部の者たちが『割礼』の講釈をし始めた。
割礼無き者は自分たちに従属すべき下位の者であると。
教会は大会議を開催せざるを得なくなった。
アブラハムは99歳にして息子や一族郎党と割礼の痛みに耐えた。
ヨシアも荒野の二世に割礼を施し益荒男(ますらお)とした。
モーセの妻は、自らの手で息子に割礼を施し、
証としてその血をモーセの局部に塗り付け「血の花婿」と叫び主の御意を得た。
割礼とは凄まじい信仰の刻印である。割礼には固有の物語がある。歴史がある。
後日、かの講師の勉強会を覗き見る機会があった。
お追従の弟子たちに取り囲まれたご満悦の頂点に若い牧師が思わぬ一言を放った。
「先生の説教には生活の言葉がありませんね」。
言うか。そこまで。
かの講師はモーツアルトが好きらしい。
モーツアルトのお下劣、通俗の極みを楽しむ者としては甚だ不可解な嗜好だと感じた。
洛南教会創立75周年記念礼拝10月10日
2021年10月17日 聖霊降臨節第22主日礼拝
説教題 『そこまでせんでもええやろ』
聖 書 マタイによる福音書 25章14〜30節 新約聖書 (新共同訳)49ページ
讃美歌(21) 515 きみのたまものと
説教 岸本兵一 奏楽 氷室美香
【説教要旨】
「それを、仕事に活かしなはれ」。
「ノウあるタカはヘソ隠すちゅうやろ」。
「それも言うなら爪や」。
「へー、そお」。
「ヘソの洒落かいな」。
休憩室が笑いの渦に包まれる。
野本班長ことノモやんは、器用にサクランボの茎を口の中で結んだ。
「それできるもんはキッスも上手やてな」。
初心(うぶ)なノモやんの顔は耳まで真っ赤に染まる。
パートのおばちゃんたちの追及は激しさを増した。
イエスは天の国を金儲けの世界にたとえる。
カネの話は分かりやすい。
少なくとも、イエスの周りに集まる人たちの理解度に無理がない。
見たこともなければ、手にしたこともない大金の話にビンボウ人たちの聴力が増幅する。
イエスは、天の国を浮世離れさせない。
使用人たちに託されたタラントンを徳や功に擬(なぞら)えたりもしない。
五タラントンを元手にして十タラントンを、二タラントンも同じくして二タラントンを稼ぎ出した使用人たちを主人は褒めた。
しかし、主人は奇妙なことに、使用人たちの命懸けの大金の管理を等しく『僅かなものに忠実であった』と評定する。
耳蛸鼻高解説を参考にすると労働者の平均日当1デナリオンの6000倍が1タラントンであるらしい。
相当な大金なのに使用人に託したカネを僅かなものと言う。
この主人は相当な資産家であると同時に見上げた成功者である。
ところが主人は、資産を運用をしなかったと言う理由で一タラントンを預けた使用人を完膚なきまで叩きのめした。
芸能人をタレントと呼んで久しい。
タラントンは、通貨の単位だけではなく才能や能力も意味する。
ビンボウ人たちは、一タラントンを土中に隠した使用人の小心を叱る主人を理不尽と感じなかった。
イエスの話にビンボウ人たちの溜飲が下がった。
なぜだろうか。
一タラントンを託された使用人とは、イエスの周りに集まる人々を日々苦しめる既得権益者たちと直感されたに違いない。
ローマ帝国の走狗(そうく)である貴族や政治家、律法を私物化した慢慢的(マンマンデー)の祭司や学者たちを神に成り代わった主人が『怠け者』呼ばわりしたことに胸のつかえが下りたのである。
禁じられた園の果実を食べた人間の丸裸が嘲弄されたのである。容赦がない。
『そこまでせん。でも、ええやろ』。タオルを投げる者もいない。
ノモやんが天寿を全うした。ノモやんは、生涯その爪をむき出しにすることはなかった。
キッスの下手なノモやんからもっとキッスの下手なパウロの言葉を言付かった。
写真と本文は全く関係ありません。
『きよい接吻をもって、互に挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会から、あなたがたによろしく』
ローマ人への手紙16:16 (口語訳)
2021年9月19日 聖霊降臨節第18主日礼拝
聖 書 出エジプト記 20章8〜11節
奨 励 『休ませてください』
讃 美 歌(21) 1 主イェスよ、われらに 444 気づかせてください
説教 岸本兵一 奏楽 大下真弓
【奨励要約」
「ドーやん! コンベヤー止めるんや!」。ドーやんとは、同志社の学生のことである。
「ボンボンがこんなとこでアルバイトかいな」。
パン工場の夜勤である。夜の八時から明け方の五時まで働いた。
学生生活が二週間で行き詰った。
『人はパンのみによって生くるにあらず』。
働くならパン屋だ。
パンを作ったのではない。
販売店ごとに仕分けたパンを車に積み込みドライバーに渡す。
夜勤者たちは自らを世間様の陰にいる者だと言い、それ以上を語らなかった。
猛烈なスピードでパンを仕分ける。
木箱に詰めたパンを2トン車50台に積み込めば口も利けない。
誰かが倒れた。コンベヤーのスイッチなどどこにあるか分からない。
コンベヤーの上に身を投げ出して止めた。
「ドーやん、ようやった」。
倒れた男は普通の会社員らしい。
身内の借金を背負っていた。
華奢な体つきであった。
夜勤者たちは、夜間の管理が班長さん一人を良いことにコンベヤーのスピードを上げた。
早く終われば花札の楽しみがある。
野卑な言葉を喚(わめき)き散らしながら作業に景気を付けた。
勝新太郎の映画『兵隊やくざ』のシーンさながらだ。
規律の緩んだ最前線の兵隊と言ったところだ。
倒れた男は、寝ていないと言う。
二年ほど休みを取ったことがないと言う。
ふらふらと立ち上がった。
「ワシら調子に乗り過ぎとったな」。
「悪い事したな」。
「堪忍やで」。
「すまんかったな」。
クレープシャツの袖から彫り物がチラチラする男がその場を仕切った。
ドーやんは、コンベヤーの上のパン箱に挟まったままだ。
アウエイの成功者ヨセフの顔で、神の民は寄留の場を得た。
ヤコブの一族は七十人に満たない心細い集団であったが四百年後にはその数を六百万人近くに増やした。
ヨセフの死後、王が変わり、看過出来ない不穏勢力と見なされ民は奴隷となったが、その時には約束の地への移動を十分に可能とする力を蓄えていた。
神は、エジプトを脱出し荒野を彷徨う民を導いた。
神はその指をもって民との契約を石の板に刻んだ。
契約の対等性が問われる事はなかった。
主の民は、もはや、疲労困憊して倒れることはない。
安息の日を定めた神は、コンベヤーの前に崩れ落ちた夜勤者の事情を余りにも哀れとしたのである。
三十八年も病苦に苦しんだ男に向かってイエスは、
「床を取り上げて、それを担いで歩け」と言った。
石の板の契約を笠に着たエライ学者たちが、悪意をもってその行為を責める。
床を担ぐのは安息日の規定に反する『労働行為』だと非難する。
預言者ハバククは、『その幻を走りながらでも読める木の板に書き記せ』と檄する。
砂漠の民に与えられた十の戒めを、イエスも石の板から運用軽便な木の板に書き写した。
イエスの福音は、高スペックのモバイルノートなのである。
hyoichiネコ一休み
2021年7月18日 復活節第7主日礼拝
聖 書 ヘブライ人への手紙6章17〜20節
奨 励 『錨をおろして』
讃 美 歌(21) 1 主イェスよ、われらに 474 わが身の望みは
説教 岸本 兵一 奏楽 入 順子
【奨励要約】
「後宮が大切にとっておいたものです」。
大住世光教会、正確には大住世光伝道所の第一号週報を後宮松代さんから頂きました。
発行日は、1961年(S31)1月6日、伝道開始5年目にしての快挙でした。
「聖寵のもと宣教の業を推し進めたい」。故・榎本保郎牧師の意気込みが報告欄に記載されています。
故・後宮俊夫牧師が保育園園長・主事として榎本保郎先生の薫陶を受けていた頃の記録です。
昔話をしようとしているのではありません。
同週報には、へブル書を引用して、『宣教の今』を週間目標に掲げています。
へブル人への手紙は、信仰生活の十年一日を否定、生理的に嫌っています。
指摘は的確です。
『基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう(6;1)』。
耳の痛い言葉です。
今日の教会の現実を前にして返す言葉がありません。
へブル的一般教養の安全地帯から一歩も外に出ることなく、
神の『約束』と『誓い』が信仰者の『今日』になっていない顕著な例が挙げられています。
不明を恥じる信徒の心のありようが、まさに、こころが、コロコロしていると言うのです。
本書は、希望は魂の錨だと教えます。
『錨』と言えば、それは海の人間(オトコとは言わない)のバッジです。
Deine Heimat ist das Meer.(お前の故郷、死に場所は、海だ)。
敬愛する後宮俊夫先生は、錨のバッジの人でした。武装した政府の役人でしたが、
九死に一生を得て命の針路を舵一杯、転回を自身に命令しました。ヨーソロー!。
「牧師言うてもやな、君みたいに神学校で勉強しとらん。素人や」とよく言われましたが、
決して、先生は、初歩の繰り返しに留まる人ではありませんでした。
神の『約束』と神自らの『誓い』を励みとした牧師でした。
『錨をおろす』、定錨を心理学用語で『アンカリング』と言います。
錨は水面下にあります。見えない錨に誘導されている状態を指します。
後宮先生の遺影は、アロハシャツ姿でした。
平和を愛する人の正装です。
先生は、戦艦の錨に縛りつけられた亡霊のような生き方から、
魂に希望と言う名の錨を打ち込み、階級章不要の、
ひとりの人として、安息を知る人となったのでした。
2021年6月20日 聖霊降臨節第5主日礼拝
奨 励 『魚(イクテュース)を待つ』
聖 書 イザヤ書40章 28〜31節
ローマの信徒への手紙 8章24〜25節
讃美歌(21) 1主イェスよ、われらに 532 やすかれ、わがこころよ
説 教 岸本兵一
奏 楽 三好三恵子
【奨励要約】
ぶかぶかの黒のゴム長靴姿の古い写真がある。
近所の大学院生がご自慢のカメラで撮ってくれた。
季節は梅雨である。むっとする梔子の花の香りに包まれた六歳の『はにかみ』がいじらしい。
撮影の場所は、大学の研究所である。
行儀の良い私は大学院生のペットだった。
実験器具のある研究室への出入りは自由だった。
そして、広い敷地は町の中にあるビオトーブであった。
大学院生が触らせてくれた顕微鏡の世界や昆虫や植物の生態に好奇心が追い付けないほどであった。
梅雨が明ければ、夏休みの始まりと同時に誕生日が待っていた。
山に雨が降り、小川が出来た。まるで、天地創造だ。くまの子が駆け足でやって来る。
くまの子の心を動かしているものは好奇心だ。
いや、アダムとエバの前にあるリンゴの木かも知れない。
くまの子は、魚がいるかと川底を覗いてみたが期待外れだった。
水を一口飲んで仕切り直し、もう一度覗いてみたが魚はいない。
それでも、葉っぱの傘をさして、『いない魚』を待った。
作詞者の鶴見正夫さんは、脱サラをして物書きになったが、長く鳴かず飛ばずであった。
ある日、自分の子どもが雨上がりの水たまりに戯れているのを窓越しに見てこの曲を書いたと言う。
子どもたちの喜ぶ大ヒット曲となった。
初代のキリスト者たちは、迫害の危険を避けるため地下墓所に集まった。
薄暗い場所から陽の当たる場所の礼拝を待ち望んだ。
信徒たちは、二本のカーブした曲線を用いて互いを励ました。
何気ない『ののじ』を書くふりをしながら『魚』の割り印を連帯の証とした。
『魚』のギリシア語5文字の頭をMMK(もてて・もてて・困る)風に当てはめると、
『イエス・キリスト・神の・子・救い主』となる。
それらしい雰囲気の者同士が街角で会うと、一人がランダムな線を地面に書く。
一本だけ曲線が混じっている。もう一人が曲線を足して『魚』にするのである。
待つことの意味を噛み締めたい。
2021年5月16日 復活節第7主日
説 教 『A Picture On the Wall (母の遺影)』
聖 書 ルカによる福音書10章38?42節 新共同訳聖書 127ページ
讃 美 歌 (21)289 みどりも深き(1・3)
(1)510 まぼろしのかげをおいて(1・3)
説 教 岸本兵一
奏 楽 三好三恵子
『一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、
イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、
その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、
そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」
(ルカ10:38-40)
某タレントの『お・も・て・な・し』のキャッチフレーズが空しい。
新型コロナウイルス感染が多くの人々を苦しめている。
この際、オリンピックを開催しないことこそ最高の
もてなしだろう。
おじいちゃんと気安く呼んだドクターがいた。
二人引きの人力車で往診をしたころの昔話が興味深かった。
最愛の妻が天に召された。老先生は、常々、妻を先に見送りたいと言っていた。
気配りの人だった。
広い敷地に、NHKの朝ドラに出てくるような診療所を兼ねた旧家の佇まいは地域のランドマークであった。
葬儀の後、二階の大広間が百名を優に超える人で埋まった。
おじいちゃんが六十を過ぎた娘に言った。いや、怒鳴った。「茶碗蒸しは熱いか!」。
老先生は、抜かりの無い接待をやり遂げた。
老先生は、何やら走り書きをしたためた仕出し屋の箸袋を私に差し出した。
『妻逝きて 残雪眺む 裏愛宕』。
至らない若い司式者への思いやり、労いだった。
牧師夫人やママと呼ばれる人望厚い女性信徒の手料理やお菓子が教会を賑わした時代があった。
盛り上がったところで、次週の説教題が、『マルタとマリヤ』、『良い方を選んだ』などと予告される。
牧師の抵抗である。
礼拝は、英語でサービスと言う。
心からのもてなしこそ真の礼拝、形にとらわれない礼拝そのものなのだが本末転倒の例がなかった訳ではない。
教会のあるべき形は次週のペンテコステ礼拝において良い瞑想を得たい。
先週は、母の日であった。
その名を呼んだことはないが、母の別名をマーサ(Martha)言う。
マルタの英語読みである。
アメリカにマーサ・ホワイトという製粉会社があるが、
イエスの接待に身を粉にしたマルタのイメージを重ねているのであろう。
母は正真正銘のマーサ、マルタであった。
静かにイエスの話に耳を傾けている人ではなかった。
戦後の物の無い時代に、どこで手に入れたのか、ギンガムチェックの布を得意の洋裁で開襟シャツに仕立て、
一歳の私と写真館へ直行した。
ギンガムチェックの柄が何色であったかを、今日聞こう、明日聞こうと思いつつ、
マーサは寄宿舎の女学生となって天に召されてしまった。
母に溺愛された弟が、ダニーボーイをフィドル(バイオリン)演奏で送った。
「お前が、弟を唆(そそのか)して浮き草稼業の道に仕向けた」。まだ叱られているような気がする。
母 マーサ・清子
母ぎみにまさる 讃美歌437
(メロディーは、『いつくしみ深き友なるイエスは』に同じ)
昭和6年 日本基督教団・讃美歌委員会発行 作詞者不詳
原題 What A Friend We Have In Jesus(讃美歌T・312)
作詞:ジョセフ・スクライヴェン 作曲:チャールズ・コンヴァース
(1) 母ぎみにまさる 友や世にある 生命(いのち)の春にも 老いの秋にも
やさしく労わり いとしみたもう 母ぎみにまさる 友や世にある
(2) 母ぎみにまさる 友や世にある 笑(えま)いも涙も 共に分かちて
ゆうべの祈りに 心を合わす 母ぎみにまさる 友や世にある
マウンテン・バラッド(あるいはサザンマウンテン・ミュージック)の紹介
サザンとは「南部の」、つまりアメリカの南部を指す。
このジャンルは、アイルランドやスコットランド系の伝承歌(バラッド)に起源を持っているが、
貧しい白人、つまり『プア・ホワイト(不快語』などと呼ばれたアパラチアの山深くに散在する
信心深い小さなコミュニティーの人々、まさに、folksの生活の歌なのである。
フォークソングと言っても構わない。
1975年に民謡研究家ボブ・アーティスと言う人が「ブルーグラス」という本の中で、
20世紀初めまでのアパラチアの山々に点在する山辺の人たちの生活を以下のように述べている。
(この本は、訴訟の対象となり絶版となっている)
『自分の家の煙突から煙があがったり、鶏が刻を告げたりすることはあっても、
他人の家のそれを見ることは滅多にないほどの人里離れた土地だった。
薬は自家製であり、冬が来る度にもたらされるものは空腹と病気と死だった。
神と家族が中心を占める限られた世界であり、
その根底には山での生活特有の生きるための厳しい現実があった。それが山の人々の生き方だった』
https://www.youtube.com/watch?v=GE3f0fbIPLI&list=PLnEn2cvcmpqEiNf7OcgypmmOLvxThIDc1
A Picture On the Wall (母の遺影)
There’s an old and faded picture on the wall セピア色の一葉の写真
That has been hanging there for many a year 壁に掛けられ 幾年月
It’s the picture of my mother それは 母の遺影
And I know there is no other なにものにも代えがたい
That can take place of mother on the wall 壁にかかる母の遺影
(ref.)
On the wall (on the wall) on the wall (on the wall) 壁に 壁に
How I love that dear ole picture on the wall 愛しい母の遺影
Time is swiftly passing by わたしの死期は 近い
And I bow my head and cry 涙が頬を伝う
But I know I’ll meet my mother after all 母に会える日も 近い
Since I lost that dear ole mother years ago 母が召され 幾年月
There is none to which with troubles I can go 今日も 何事もなく
As my guitar makes its chords ギター 爪弾けば
I am praying to the Lord 祈りの言葉が続く
Let me hold that dear ole picture on the wall 母の微笑みは 誰にも渡せない
2021年4月18日 復活節第6主日
復活節第3主日礼拝
司式 岸本兵一牧師(大住世光教会・泉伝道所)
奏楽 三好三恵子(京都教会)
説 教 『ヲスヱの墓前365日』
聖 書 出エジプト記1章15?21節
讃美歌(21) 327 すべての民よ よろこべ
515 きみのたまものと
エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。
一人はシフラといい、もう一人はプアといった。
「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、
子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、
女の子ならば生かしておけ。」出エジプト記1:15-16
※シフラ=美しい プア=輝き
訳すと美子&輝子あるいは、美枝&てる子 どこかで聞いたようなお名前?
※ヘブライ人(イヴリット)彷徨う者 rambler wanderer
地上では旅人であり寄留者(へブル11:13)
説 教 岸本兵一牧師
「戦前の京都府南部にはたった三人しかキリスト者がおらんかったんや」。
故・後宮俊夫先生はことあるごとに大住世光教会時代を懐かしんで
例の語尾の聞き取り難い口調で語られた。
八幡の柏木剛さん、田辺の西川さん、そして、田辺大住村の宮本ヲスヱである。
宮本ヲスヱ
1902年(M35)10月1日生1967年(S42)3月31日帰天
宮本ヲスヱは助産師であった。
平賀源内の出生地でお馴染みの香川県志度(しど)に明治38年(1905)生を受ける。
ヲスヱは、実家を出て生き馬の目を抜く大阪の大店(鍵屋)の奉公に出た。
あっという間に女性従業員のトップ(女中頭)に上り詰める。
主人が言った。「あんさんの希望を何でも叶えてあげまひょ」。
「産婆の学校へ行かせてください」。ヲスヱは即答した。
「そんなもんでええんか」。主人は呆れた。
ヲスヱは、京都市内にあったホーリネス系の産婆学校に学んだ。
昭和6年(1931)、ヲスヱ、26歳、助産師の学びと求道の日々が始まった。
受洗は、38歳、昭和15年(1940)であった。
日中戦争の最中である。
ヲスヱもホーリネス信仰者の例に漏れず、官憲の取り調べを受けている。
昭和20年、戦争が終わった。
ヲスヱは、新しい時代の息吹を感じた。
これから取り上げる赤ん坊は戦地へ送り出す消耗品ではない。
本家の次男(甥)が特攻隊員として戦死している。
ひとりひとりの命が尊ばれる世が来たのだ。
ベビーブーム到来。黒塗りの大きな自転車を駆る多忙な日々。
ヲスヱの遺品 象牙の聴診器
ヲスヱは、農繁期の大住村の畦道に目をやった。
赤ん坊や幼児が畚(ふご)、わらで編んだベビーサークルにふかし芋一本を持たされ、
父母たちが夜明けから日没まで田畑で作業する間、
十分なケアを受けられない状態を見た。
ヲスヱは祈った。
そこに、ちいろば牧師こと若き日の榎本保郎がヲスヱを訪ねて来た。
榎本保郎は、信仰の先輩ヲスヱから多くを学んだ。
ヲスヱも若き牧者を支えた。「この村には、教会と保育園が必要だ」。
二人は祈った。
村の青年たちも、保守的な父母を説得して保育園建設事業に加わり、
キリスト教にも関心を寄せた。
故・後宮俊夫牧師は保育園設立30周年記念誌に
『この保育園は、青年たちの郷土愛によって建てられました』との一文を寄せている。
ヲスヱの家は、ヲスヱ自らがコーヒー豆を挽くサロン、聖研の場となった。
ヲスヱは、都会のモダンを余すところなく青年たちや子どもたちに披露した。
ヲスヱは設立の代表者として先頭に立った。
青年たちに檄を飛ばした。
「あんたら、田辺の駅へ行って降りて来る人から10円でもええから寄付をもろうて来なさい」。
祈りは天に届いた。
農村教会の言い訳ではあるが、
『礼拝の場を確保するための方便としての保育園』が開園した。
最先端のキリスト教保育が牧師夫人や教会員の保母たちによって展開された。
戦後の平均的な農村における例外中の例外、快挙であった。
昭和27年(1952)4月1日 京都府綴喜郡田辺町大住八河原64
宗教法人日本基督教団
世光教会経営の認可施設
大住保育園開園(定員60名)
園長 榎本保郎 主事 後宮俊夫
(大住保育園のホームページより抜粋)
大住世光教会は、諸般の都合により、
2012年より、保育園内での聖日礼拝が出来なくなり、
現在、保育園近くにある大住墓地に眠る宮本ヲスヱの墓を教会に見立て、
毎聖日、雨の日も風の日も礼拝を守っている。
雨の日も風の日も
ヲスヱが眠る大住墓地の入り口には
若き兵士たちの八柱のみ霊が顕彰されている。
この兵士たちも生還していればヲスヱやちいろば牧師と共に
生を謳歌する豊かな時代を享受したであろう。
毎聖日、墓標に敬意を表して後、ヲスエ墓前礼拝を守っている。
(墓標に刻まれた尊い命の記録)
昭和21年1月29日 中支湖南省ニ於テ戦死ス 20歳
昭和20年6月20日 ルソン島マニラ東方ニ於テ戦死ス 25歳
昭和20年大湊 海軍病ニ於テ陣没ス 25歳
昭和20年5月17日 中支湖南省ニ於テ戦死ス 27歳
昭和19年12月9日 ニユギニア島ニ於テ戦死ス 35歳
昭和19年9月月4日 ビルマニ於テ戦死ス 27歳
昭和19月2月17日 ニユウギニア ニ於テ戦死ス 21歳
昭和16年9月24日 中支江西省に於テ戦死ス 29歳
2013年6月8日 宮本ヲスヱ記念会(帰天46年))
司式:後宮俊夫牧師
主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ、
墓穴に下ることを免れさせ、
わたしに命を得させてくださいました。
詩編30編4節
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